闘うジャーナリストの生涯
★★★★☆
1931年長野県生まれの作家が1980年に刊行した、反骨のジャーナリスト桐生悠々(政次、1873金沢〜1941名古屋郊外守山)伝。軽格の旧加賀藩士の家に生まれ、同郷の徳田秋声(末雄)と共に文学青年として育った悠々は、早くから醒めた目を持ち、同棲?・苦学しつつ帝大法科(政治学)を卒業した後、自由主義的な新聞記者となる。政論新聞から客観報道・商業主義への新聞の転換期に、彼は各地の新聞を転々とした後、政友会系の信濃毎日新聞の主筆として招聘され、さまざまな企画で部数を大幅に伸ばすが、やがて五箇条の御誓文に依拠して乃木将軍の殉死を批判する「陋習打破論」を書き、不買運動の危機に直面する。同じく政友会系の新愛知新聞主筆に転じた彼は、大正デモクラシーを主導してときの内閣を倒し、憲政会系の名古屋新聞と烈しく論争し(一部に行き過ぎあり)、社会的道理を守る検察官として、些細なスキャンダルも見逃さなかった(檜山事件)。皮肉にも政友会に批判的であった彼は、新愛知の社内改革を企てるが挫折し、4年間の失業後に再び信濃毎日新聞に戻る。同紙で彼はマルクス主義と軍部を批判し、ここでも「関東防空大演習をわらう」を書いて軍に批判され、同紙を追われる。その後、名古屋に戻った彼は、洋書紹介の名古屋読書会を組織するが、軍国主義政府による度重なる検閲と戦いながら、苦難の晩年を過ごした。明治初頭からアジア太平洋戦争直前までの激動の時期を、洋書から得た的確な状況分析と、職業的使命を自覚した上での論理的かつ歯に衣着せぬ主張によって、弾圧にもめげずに時流に抗し、筋を通して生き抜いたジャーナリストの姿には、学ぶことは多い。