静かな大地
★★★★★
北海道のいわゆる先住民族、アイヌといわれる人間のおはなし
自然と共に、自然を尊重し、自然に感謝し、循環という行為を儀式を通じて行ってきた人間たち
彼らにとって鮭は人間だけのものでなく狐や熊も食べるもの
野草や木の皮さえすべて取ることはなかった
今の現代でもっとも必要とされるべき生活様態
でも過去何百年かで内地の人間は奴隷や捕虜にしたり同化政策として何万人ものアイヌを殺して文化を奪って
でもその文化はあたしたちが失っていっているもの
日本が単一民族なんて嘘 ?
尊ばれる民族であったアイヌの大地の北海道は朝鮮より先に日本の植民地になって
インディアンもだし世界中どこでも起こり続けてること
動物愛護も自然保護も人権擁護も根本から考え間違ってるでしょ
啓蒙っていったいなんですか?
今、99人と違う考えを持った1人は淘汰されるべきですか?
あなたは自分の足下見て生きれてますか?
くだらない本当に
でもそれがこの世界です
言葉の民の物語
★★★★★
明治時代の北海道に入植した移民(和人)たちと、アイヌ民族の物語。
章ごとに語り手がつぎつぎ移りかわる重層的な文体のおもしろさは、考えてみると、アイヌの民話にも通じる。
ひとつの文化、歴史、生活様式、言葉を持って生きてきた人びとが、その誇りを奪われ長く暮らした土地を追われてゆく様を、池澤夏樹はあえてアイヌではなく、和人の兄弟とその周辺を描くことで浮き彫りにしようとする。
著者は和人。そして読んでいるわたしも和人だ。和人には、和人の歴史しか語ることができない。アイヌの歴史を語るための言葉を、和人は持っていないから。
そのことを自覚して筆をすすめる作家の謙虚さは、そのまま、この大河小説の主人公である三郎、志郎兄弟の生きる姿勢でもある。
ふたりは和人の子供でありながら、アイヌの子供と仲良くなり、その家族とも親交を結んでゆく。支配でも隷属でもない、ともに生きる道を探そうとする。
物語がはじまって間もなく、兄の三郎が、札幌の農業学校から弟の志郎に書き送る手紙がある。
若さと希望、力に満ちた書簡を、そのときは何気なく読んでいるのだけど、小説の後半、「チセを焼く」のあたりまで読みすすめてからもう一度戻って読み返すと、一言一句、胸の張り裂けるような思いがする。
小説の最後に添えられた「熊になった少年」という小さな物語を、わたしは初め、別の雑誌の中で読んだ。
そのときは、この民話ふうの物語が何を言いあらわそうとしているのか、つかみきれずに首をかしげたのだが、「静かな大地」を読み通した今なら、理屈ではなく、言葉のひとつひとつが深く胸に刺さる。
少年は、トゥムンチにはなれなかった。熊にもなりきれなかった。
それはなんて悲しく、なんと残酷なことだろう。
静かな大地にひびく島梟の嘆き
★★★★★
昔、あるところに少年がいた。
黒い目のきらきらとした、心の気高い、敏捷でしなやかな身体を持つ少年であった。
少年の一族は狩りを業とした。
少年の祖父も父も叔父も、その朋輩たちもみな熊を狩って暮らした。男が獲った熊を持ち帰ると、女どもは熊の皮をなめし、肉を干し、熊胆(くまのい)を作った。その合間には山に行って木の実や草の根を採った。(641頁)
その後、この少年は熊になる。熊は、その兄弟とともに、山から山を歩いては愉快な日々を送った。そして秋になると、川に行って鮭を獲った。月日は流れ、いつしか大人の熊になった。
ある日、熊は人間の男と出会う。男の射た矢が熊の右肩に刺さった。すると熊の身体に異変が起こる。黒い毛は全身からはらはらと抜け落ち、身体は細くなって、顔も変わり、「熊は人間の若者に戻った」。
「若者は傷を押さえて立ち上がり、矢を射た男の方を見た。そして、ほんの少し前、熊であった自分がこの男に殴りかかるのをためらった理由を覚った。男は若者の父親だった」(645頁以下)
池澤さんの大著を読み終え、まだ少しどきどきしております。なんと言っていいものか…、とりあえずあらすじを書きますと、時代は明治の初め頃、舞台は北海道の静内地方、主人公は淡路島から蝦夷の地に入植した宗形三郎と四郎。それにおおくのアイヌの人々。この四郎には実際のモデルがいるようで、それは池澤さんの母の母の父にあたる人物とのこと。だからこれは、池澤さんの先祖の物語りでもあり、その意味でも、特別な小説なのだと思うのです。
宗形三郎はアイヌのひとびとともに、静内の地に牧場を開き、一時はおおきな繁栄の時代を築きます。でもその静かで豊かな日々は、長くは続きません。静かな大地にひびくのは、どんな唄でしょう。いまはなき大地を偲ぶ島梟の嘆きに、ぼくらはなにを思えばよいでしょう。
いろいろのことを感じましたし、考えました。でもそれを、どうも上手く文章には出来そうありません。ただ、とても大切な物語だと感じました。
民族対立ということ
★★★★☆
この作品は、明治初期の北海道開拓、つまりアイヌ迫害の時代に、アイヌの楽園を夢見て農場を築いた人物の一代記である。
偶々ではあるが、この作品の前に梨木香歩の『ぐるりのこと』を読んだ後だった。
民族問題をテーマにした作品を立て続けに読んだ格好。(もちろんどちらも、それだけではない作品であるが)
民族の垣根というのはいったい、何に根ざしているのだろう。
言葉?、宗教?、習慣?、外見?
違うものを違うと認めたうえで、それをもひっくるめて一個の人間として対峙することはできないのだろうか?
アイヌの楽園を夢見た農場は、巨大な悪意の前に指導者を失い、瓦解してゆく。
個人の力の限界か?それでもまだ可能性はあるのか?真摯に問いかけなければならない。
と、本当に多くのことを考えさせられる作品。だが、池澤夏樹氏のストーリーテリングは、いつもながら、お見事。重いテーマを扱った600ページを超える大作だが一気読み。ただし、主人公が追い詰められ、精神の均衡を失ってゆく場面がいささか唐突という感が否めない。重要な点だけにもう少し書き込んで欲しかった。
無常なる北の大地
★★★★☆
朝日新聞に連載されていたころから興味深く読んでいた。
池澤氏の祖先の話を、どこかで耳にしていたので、
ついにこのテーマに取り組んだのかと懸命に読んだ。
しかし、登場人物たちの注ぎ込む情熱が、事態を好転させず、
徐々に魔性に魅入られたかのように、悪夢の底に引きこむ展開には、苦い思いをした。
近代の北海道開拓における「哀しみ」が、抑揚を抑えた筆致で描かれ、
やり場のない虚無感が、重くのしかかる。
フィクションではあるが、ある時代・地域の記録が、
このような上質の文学作品に昇華したことを忘れないでいたい。