前史となる物語の紹介(知ってる人はごめんなさい
★★★★★
このすばらしき物語の、前史ともいえる作品があります。
登場人物はもちろん違いますが、
誰もが、ああ、そういうことなんだ、とうなずけるはずです。
それが
タマリンドの木 (文春文庫)
こちらは、恋愛小説なのですが、
そこはそれ、池澤先生のストーリーは、
恋愛小説をして、「生きる」ことの高みまで思いをはせさせてくれる佳品となっております。
ご存じの方には当たり前の話でしょうが、
やはり書き残したかったので書き残させていただきます。
分厚いけれど読み易い
★★★★★
「光の指で触れよ」の前編にあたる作品
「光の指で触れよ」を先に読んだのですが、特に問題無しです
大企業で風車の開発設計技術者である天野林太郎
途上国へのボランティア活動を主とするNGO団体で広報関係の仕事に携わっている妻・アユミ(離婚歴あり)
小学校五年生の息子・森介(不登校歴あり)
家族間では常に論理的、建設的な会話が交わされ、絶対的な信頼関係が築かれている
アユミを通してチベットのNGO団体から灌漑用の電気を起こすための風車を建ててくれないかという依頼が来る
ヒマラヤの奥地へ赴いた林太郎はそこの文化や習慣に触れ、そこで暮らす人々に深く惹かれていく
環境問題
途上国援助問題
民族問題
家族問題
すばらしい新世界は本当に存在するのだろうか
改めて考えさせられます
最後には林太郎と森介が、偶然発見されたテルマ(埋蔵経典)を中国の手に落ちる前にインドに亡命中の第14世ダライ・ラマ猊下に届けるというオマケまでついていて、ちょっと楽しめます
この作品では林太郎と森介が日本から飛び出しているのですが
光の指〜 ではアユミとその後に生れた娘がヨーロッパに行きます
「きみの方が仕事に夢中になって、ぼくが森介と一緒に待つという時期もいずれあるんじゃないか。ぼくが淋しい顔をする時期だってあるんじゃないか」
何度もチベットへ行く夫に淋しいと訴えるアユミに林太郎が語る言葉
続編を予感させますね
最も、アユミと下の娘がヨーロッパに向かったの理由は仕事ではなかったのですが…
ぼくのイチオシです。
★★★★★
僕らは社会や文明や国や宗教や民族など、様々なモノと関係して生活をしている。
日常生活を送っていると、ーーー特に生活が必要以上に便利になった日本という国に住んでいると、世界が小さくなってしまう。
情報は世界と繋がっている。でも、そこには深みがない。人の、土地の、臭いがない。
観念化された生活。
大きな不満がないから考えない。それは、しあわせな状態なのだろうか。
ほとんどの日本人のなかに神はいない。それはそれでいいと思う。僕の中にも神はいない。でも、自分より大きな存在がいないということはいいことなのだろうか。
人間のできるとこは、実はとても小さく僅かなもの。
そう思えることは幸せなことではないだろうか。
そんな思索にむかえるヒントがちりばめられている。
すばらしくて新しい世界が拓ける言葉が本書にはある。
この本に出会えたことは、しあわせ以外なにものでもない。
カジマヤー計画と聞いただけでゾクゾクしました。
★★★★★
池澤氏らしく、物語は沖縄で始まり北海道で終わります。その間はネパール奥地のナムリン王国が舞台。風力発電技師の林太郎がナムリンの風を灌漑エネルギーに変えるためにネパールに出張します。これがカジマヤー(琉球語で風車)計画。
といってもプロジェクトX"ヒマヤラの奥地に風車が回った"篇というわけではなく、物語はもっぱら林太郎と妻アユミとのメールのやりとりで、"現代の諸相についての二人の考え"が語られる展開です。例えば、「ボランティア・NPOと企業」であり、「インテリ世代の子育て」であり、「チベット仏教」などについてであります。
一つの夢のあるプロジェクトを縦軸に、異国でのエピソードをきっかけとした思索が横軸に交差して、爽快感とともに物語を読み終えることができました。池澤氏の物事を見る眼にまたしても共感している自分がおります。
風車とそれにまつわる社会の話。
★★★★★
風車好きは読んでみてください。
遠いネパールに頑丈な風車を設置する、という話です。
ネパールの山奥に風車(普段私たちが見慣れたものとは形が違うのですが)を立てるその姿を想像するだけで気持ち良くなってきます。
脇では、今の先進国の電気に依存した社会について、様々な語り口から語られていきます。
新聞連載だったため、1Pの情報量が多すぎるところはあります。
終盤、現地で修理する人を作るために主人公は理科の授業をします。
最初は「授業なんて退屈だなぁ」と思っていたのですが、えらく根源のところから始まる授業なので、ものごとを知ってると自分は思い上がっていたんだなぁと苦々しい気持ちになりました(笑)。