インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

女は何を欲望するか? (角川oneテーマ21)

価格: ¥12,879
カテゴリ: 新書
ブランド: 角川書店
Amazon.co.jpで確認
フェミニズムの存在意義について ★★★★☆
アンチ・フェミニズムの本だそうだけれど、必ずしもそうとは言えないように思えた。

フェミニズムそのものも(あまり勉強した訳じゃないけど)ひとりに一説という感じにどんどん意味合いが複雑になっていって、その根拠とするところもとても曖昧になってきている。

ただ気になるのはやはり、地位や名誉といった社会的リソースの公共的分配について闘うのはあまり意味がない、と断じられてしまっているところだ。

もちろん、一定量の上について過分な期待と労力を払うのはある意味無駄なのかもしれない。しかし、最低線を見たときの性差が明らかにある以上(少なくともこの国では)、やはりそれについては闘っていかなくてはいけないと思う。もちろんこういった戦いの現場にいわゆるフェミニストがいるかということについては甚だ疑問があるし、フェミニスト理論の実践性がどれほどのものかということも疑わしいけれど。

性というものは社会を切り分けるひとつの手段に過ぎない、という。それは正しい。しかし生来の、変えようのない要因に関して実利的な差別を受ける場合、それはやはり看過できないものがある。
女のことは女にまかせて ★★★★☆
題名に惹かれて購入したけど、結局この質問には答えてない感じ。
ようするに、女が欲望するモノは男も欲望するのだから、
フェミニズムなんてやめちまえってことでしょうか?

ここで内田先生がおっしゃっているように、もう時代は
そんなのどうでもいい感じですよね。

エイリアンの解読はとても面白く読みました。
結局女は救われないなあ、とも思いましたが、
それは男も同じ。

女としてはこれ以上内田先生に頼っていないで、
自ら答えをだす時期なのでしょう。
内田樹の本は今までも何冊か読んだが,どれもわかりやすく読みやすかった。しかし,この本はまったく例外。 ★☆☆☆☆
 はっきり言えば「I フェミニズム言語論」は内容が難しすぎる。まったく理解できなかった。読むのに疲れた。「II フェミニズム映画論」は映画「エイリアン1〜4」のフェミニズム的解釈が書かれている。私は「エイリアン」という映画は見たこともなく,興味もない。それなりに内容は理解できたが,「だから何?」という感じ。内田樹の本は今までも何冊か読んだが,どれもわかりやすく読みやすかった。しかし,この本はまったく例外。読み応えがない。もっと多くを学べると思っていただけに残念。それでも,私なりに理解した「女は何を欲望するか?」について少しだけ述べておく。著者の意見では,現在でも世の中は「男社会」で,女性は自分のことを話すときは男性的な言語を用いている。そして,そのようにしか自己を表現することができない。だから,現代は「男女共同参画社会」ということになっているが,著者はそれに疑問を抱いている。それは同時に世の中が弱肉強食の実力主義の社会になることを意味するからだ。「女性は女性らしい感性を活かして,できることがあるのではないか」というのは,私自身の意見でもある。そして,この本を読んで思うのは,女性は「感性」で生きているということ。簡単に言えば,「常に自分の居心地の良い空間を求めている」ということではなかろうか。だから,理論や理屈よりも「居心地の良さ」の方が女性には優先順位は高いのである。そして,これは私の意見だが,そのような女性に男性が迎合しているのが,現代の成熟社会ではなかろうか。簡単のために「男性」「女性」の二極論を論じたが,例外が当然存在することも念のため記しておく。
 さらに言えば,今の私には上記のような哲学論は何の意味もない。あくまでも「今の私にとって」ということではあるが,このような思想論の本は,私には「富裕層の暇つぶし」に見える。親から金を貰い何となく生きている大学生,毎月一定の給料を貰い,とりあえず将来に不安はない会社員。彼らはある意味幸せであるが,ある意味不幸せである。自分の中に不安がないと人は思考を停止する。何も考えなくなる。しかし,それでは物足りない人間は「哲学書」に走る。自分の安全は確保した上で,他人の意見がどうとか言う。私は,今の日本人に恐れずに自分の意見をどんどん言ってもらいたい。そして,安心安全な道を歩むのではなく,自分の可能性に果敢にチャレンジしてもらいたい。そして,その方が「自分らしい」ということに気づいて貰いたい。そう願ってやまない。自分でこの本を買っておいて何だか矛盾するけれど,すべてこの本を読んで私が感じた感想である。
慈愛に満ちたフェミニズム追悼論集 ★★★★★
内田樹という思想家は「おじさん」「子ども」「若者」と、その都度その対象となる世代や現象を代えて(対象は必ずしも読者層と一致しない)、アクロバティックで魅力的な評論や理説を唱えてきた。

今回のその対話の相手となるのは「フェミニズム」。
内田氏は自身のブログで、ときに現代のフェミニズムに手厳しい批判を続けている自称「アンチフェミニスト」であるが、今回はそんないつもの彼とは趣が異なる。フェミニズムは近年明らかに勢いを失っている。その「かつての」宿敵フェミニストたちの理論を、今回の氏は慈愛のこもった文体で少々「湿っぽく」述懐してくれる。(それでも、「私だけが知っている」「私だけが正しい」というバカな理説に対しては相変わらず氏は手厳しいが)。

1章では、フェミニズム言語論と題して、ボーヴォワールからバトラーまで、彼女らのフェミニズム言語論をおさらいしながら(「女として語る」とは?「女として書く」とは?)、同時に「なぜその営みは頓挫したのか?」という案件にも迫っていく。2章は彼お得意の映画評論。取り上げられている「エイリアン」シリーズでは別著の『映画の構造分析』でも同じことを論じているが、シリーズ1、2、3、4と同時代のフェミニズムの潮流を関連づけて論じているこちらの方がはるかに中身が濃いので、本書の方がおすすめ。

「答えのない問い」を「問い」という宙づりの状態にしたまま、いかにそれに対して真摯に向き合い続けることができるか。己の理論の高い汎用性から生まれる、出来合いの答えを創出したいという誘惑に打ち勝つことができるか。

それが内田氏が考える思想家の倫理であると思われるが、フェミニズムはその問いを宙づりの状態に維持する我慢ができなかった。氏がそんな彼女らを一面的には批判せず、むしろパセティックな文体で彼女らの営みを振り返り評価するのは、その倫理的課題を遂行する難しさを、氏自身が一番痛感しているからではないだろうか。

この本で彼が、フェミニズムというひとつの大きな思想に「おつかれさん」と優しく語りかけているような気がした。

内田樹の真骨頂↓
子どもは判ってくれない (文春文庫)

(追記 5/21)
腹が立つので追記。私の次にのうのうと☆1つの評価をして文章を上げている人間のレビューを鵜呑みにするべきではない。この人、レビューをよく読むと☆1つをつけた理由が、「まったく理解できなかった」からだそうだ。「はっ?」と思ってしまうが、第二部のエイリアンの評論にいたっては作品を見たこともないらしく、「興味もない」とすら言ってのける。よくそれで堂々と1をつけられたなと思った。また、「読み応えがない」という表現を使うのは、彼のように内容がよくわからない本に対してではなく、普通は内容が空虚だと感じた本に使うもんだろう。このように使う表現も適切ではない。

しかも、彼なりに「理解した」とされる、その本書の理解も思いっきり誤読。
そもそも、読んでわからなかった本について、わざわざレビューを書くなよ・・・。
骨を拾う仕事 ★★★★★
戦地で亡くなった兵士の骨を拾う仕事は、

兵士への敬意と愛情を持つ人によってなされるでしょう。

あるところまでは、思想的、政治的に成果をあげた

フェミニズムが、力尽きて死期を迎えてしまった。

その経緯を描いています。

フェミニズムに興味は無くても、

一つの社会思想が、どういう問題と取り組み、

発展し、間違いを犯したり、錯覚を起こしたり、

そして袋小路にはまって死期を迎えるのかという

プロセスをたどることは、とてもスリリングでした。

特に前半の言語論は、フェミニストの苦闘を通じて、

言語論について学ぶことができました。