表には現れることはないが世界32都市に拠点を持ち、そのうち米国内の14都市の拠点ではそれぞれが百から百五十の病院、産婦人科、中絶専門の医師、卵子バンクなどと密かに提携し定期的に中絶胎児や凍結受精卵などを回収している臓器マフィア。法律でいくら禁じてもこれほどまでの大組織が生まれてしまう背景には、人間の不老不死や金への欲望がある。
自分や家族が臓器移植をすれば命が助かるという状況になったらどうするであろうか?そんなに高いお金を払ってまでいき続けたいとは思わない!?では値段が手ごろだったら?とか倫理的にそれは許せないとか人それぞれ考えはあると思う。しかしながら、われわれ人類はすでに古い倫理観では許されない方向に進みだしていることは自覚しておかなければならないようである。
この本を読むと、一見脈絡のないこれらの話の背景になにがあるのか見えてくる気がする。
臓器のドナーにされる人、臓器のために殺害される人、臓器移植を受ける人.....
医術の進歩によって新鮮な臓器が多大な価値を持つようになり、そのために人身売買(臓器売買)が復活する。臓器売買は明らかに非道徳的である。とはいえ、臓器移植によって救われる人達がいるのは事実であるから、臓器移植自体は善と言ってよいであろう。非道徳的、ときには明らかな犯罪行為によって支えられる善。善だけを肯定し、非道徳な部分は違法とするために、無償のドナーという偽善を持ち出したところでうまく機能するはずもない。
では、どうすればいいのか?
大変気が重くなる本である。とはいえ、避けて通れない本であろう。
特にこの本は、現実にありえることだろうか?と、考えるよりも、人間としてこのような現実は認めたくない!!と考える人のほうが多いと思います。
でも現実として、この本のようなことが行われている可能性は、極めて高いと思います。確かに、日本という、比較的貧富の差が少ない国に生まれている私たちは、そんな臓器売買がなされているとは認めたくないです。
しかし、明日の食事にも困っている健康体の人間がいて、一方ではお金があるけれども、臓器の一部分が不自由なせいで苦しんでいる人間がいるのは事実です。
そうなったとき、明日の食事にも困っている人がどのような行動を取るのでしょうか?
しかもそれを、仲介する業者がいたらどうでしょうか?
自分が、明日の食事が欲しくって、臓器を売っても良いと思う人がいる可能性は少なくないと思います。
ましてや、それをビジネスとして考えたら、こんなおいしいビジネスはないでしょう。
いくら金を出してもいいという買い手がいて、いくらでもいいから売りたいという売り手がいる市場があれば、この本に載っているようなこともおかしくないと思います。
人間であることは幸せなんでしょうか?少なくとも、私は明日の食事に困らないように生まれたことに感謝しつつ、この本によって、人間の欲求の恐ろしさに戦慄を感じました。