森司教の言葉に救われる
★★★★☆
電車に1時間半ほど乗るので、その間に読もうと購入した。
五木さんの対談本であるから、気楽に読めるということ以上の期待はなかった。
読み終わっても、その通りの感想である。
しかし、森司教の下記の言葉には目を開かれる思いであった。
私は最近、神の優しさを強調するために、こんな話をしております。私がいま信じている
神様は、天国の門の前に出て、来る人来る人に頭をさげて、
「こんなひどい世界と苦しい人生を与えてしまって申し訳なかった」と
謝っているんです、と。
こちらがくたびれた中年男であるせいか、この言葉はこころに響く。
凄く幼稚な内容
★★☆☆☆
凄く幼稚な内容でした。
わざわざカトリックの司教様を招いての対談で、まあ次から次へと下世話な話題。
最終的な「神の発見」本の結論では個人の信仰つまり自分にあった宗教を見つけることが信仰と分かって、たがいの宗教を尊重することが重要だみたいな事がつづられ、後書に自分の仏教徒としての足場か信仰を固めるための対談でしたみたいなことがつづってあり、「あなた大丈夫ですか?」といいたくなった。 そのためにカトリックの司教様をわざわざ呼んだんですか。あなたにとっての仏教徒としての信仰ってそんなもの?
ヘ?それが「神の発見」かいなみたいな、なんか仰業しいタイトルつけすぎじゃないですか?
欧米、欧州、南米、オセアニア、アジア、韓国もそうですか特にアメリカなど多民族国家でそれぞれの祖先の歴史や文化も異なる中、日本以外の国々の人たちにとって信仰をもつこはごくごく普通だし、たがいの宗教を尊重することなんて海外では基本中の基本だし、もし仮に欧州のクリスチャンの作家がわざわざユダヤ教の大司祭様を招いてこのような内容の対談をして出版したら海外では失笑ものでしょう。
それから何故日本では、クリスマスや結婚式はキリスト教式真似ごとをするにも関わらず、キリスト教徒がというものが少ないのかと、そんなこと聖職者に質問したところで、カトリックの司教様の立場で本当のことが言えるわけないじゃないですか、聞くだけ野暮ですよ、五木さん。
日本の現代史、特に日本が帝国軍国主義になった時代、国家は国民にどういう恐るべき政策(天皇礼拝)をとったのか、それが今でも尾を引いてるんじゃないのですか。
作家さんとしてはカトリック司教様への対談準備として、疑問点、質問材料等は少なくともご自分で研究されるポーズだけでもとるものだと思ってましたが、、
まあ、人それぞれですものね。
信仰に垣根なし。
★★★★★
あなたは、神を信じますか?現代人は、この質問に真面目に答えることはなかなかできないでしょう。合理的なもの、実証可能なものを尊ぶ近代以降の文明は、神を日常から追い出してしまったのかもしれません。しかし、私達の心の奥底には、神、仏、霊的なものが宿っており、それは日常の言語の中に埋め込まれています。神を信じなくなって、人々が信じたのは、科学であり、お金であり、現世利益でした。その結果が世界を覆うキャピタリズムであり、格差社会であり、自殺者、うつ病患者の激増といった重い日常です。五木さんは、薄らぎつつある健康な人間の心とは何かを捜し求めているように思えます。もう一つ、この対談で興味深いのは、クリスマスであれ、バレンタインデーであれ、日本にはキリスト教文化が完全に浸透しています。それなのにキリスト教の信者はほんの僅かしかいません。これは何故か。そして聖職者が、その道に進むときに宗教とどんな巡りあい、様々な戒律をどう受け止めているのか。五木さんは浄土真宗とキリスト教を対比させることで神というものの普遍性を発見してゆきます。素晴らしい対談でした。五木さんの対談相手はカトリックの司教の方で、お二人のフランクで奥の深いお話にはっとさせられることばかりでした。
仏教者の作家とカトリック司教の会話
★★★☆☆
帯に、「仏教者の作家とカトリック司教の徹底対論」とあります。
討論でないところがコピーを考えた方の正直なところかもしれませんが、
それぞれが話をして、そうそうそうですねというような世間話的な
会話になってしまっています。ちょっと残念。お互い遠慮しています。
とはいえとても読みやすいので、1〜2時間でざっと読めます。
仏教とキリスト教の関係についてちょっと知るには良いでしょう。
題名程の内容ではない
★★★☆☆
仏教とキリスト教にまつわる雑談集。時間潰しにはなるかと。ただ、以下のワンフレーズは同意はしないがなかなか考えさせられたのでおまけの☆三つで。「敗戦後のこの国が、なんとなく好調に走り続けてこられたのは、たぶん、無魂という制約なき身軽さによるものだろうと思われる。魂というものは、つねに人びとの心や社会にブレーキとして働くものだ。そこまでしてはいけない、そうすべきではない、というブレーキが外された車は、当然、他の車より速い。めざましく疾走し、そしてやがて転覆する」