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「近代日本文学」の誕生―百年前の文壇を読む (PHP新書)

価格: ¥882
カテゴリ: 新書
ブランド: PHP研究所
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買いです。 ★★★★☆
明治32年7月から39年10月までの出来事を各月ごとに4ページにまとめて為した一冊です。いわゆる文学史的には擬古典主義や浪漫派の時代から、「新しい文学」としての自然主義への流れを描いたものですが、副題に「百年前の文壇を読む」とあるように、人物や雑誌および出版社に焦点を当てているので、死後の再評価が大きく影響する文学史のテキストとはまた違った角度からの考察で新鮮だったです。ただ、ルビの付け方の基準がよくわからなくて、たとえば、「墨汁壺」に「インクつぼ」とルビを振るなら、ほとんとどう読んでよいかわからないマイナーな関係者にも付けてもらいたかったです。とりたて大きな問題ではないかもしれませんが、やはり読めるのと読めないのとでは親しみが違い、本書はそういった要素にこそ多く光を当てて書かれているように思えたからです。
このさりげない嫌味さも、東京人の洗練かしら ★★★★☆
 周知のごとく柄谷行人に『日本近代文学の起源』があり、スガ秀美に『日本近代文学の<誕生>』がある。紛らわしい…スガが「誕生」にギュメをつけたのは、柄谷の「起源」と対比したのだろう。では坪内が本書の「近代日本文学」にカギ括弧をつけたのは、どうしてか?
 「日本近代文学」は「日本における近代文学」と読める。つまり、世界的な現象としての「近代文学」の、日本への伝播形態という含意になるし、実際、柄谷やスガの本はそういう内容だった。対して「近代日本文学」の場合、「近代における日本文学」となる。「日本文学」というものを実体的にかナニ的にか認めたうえで、その近代における形態を指す。これは、柄谷やスガには採りえない立場だろう。しかも柄谷とスガの狭間の時代を指差して、「ほら、文学を探すならココですよ」と言っている。
 柄谷・スガ路線は文学の「外部」に立ち、形式的観点から文学を扱おうとした。対して、細かい具体的な人間の動き・心理・思想等々に拘泥する本書は徹底して文学の「内部」に立ち、いわば遂行的に文学を提示している。つまり本書は、一篇の小説として読まれるべきなのだ。
 だとすれば、本書がおそらく暗々裡に意識している相手がもう一つあって、それは高橋源一郎の『日本文学盛衰史』ではないか…と、まあ、私としてはそんな楽しみ方をした本でした。
たっぷりたのしめる。 ★★★★★
近代の文学に関連する逸話がおもしろいし、
要所の抜粋もたくさんあります。

月ごとにタイトルが付けられて4頁ずつにまとまっているので、
順に読んで時代の流れを感じることもできるし、
興味を持ったところから入ることもできて、
読みやすいです。