普通の兵士
★★★★★
戦争経験をへて反戦運動に参加した多くの兵士たちの
講話をまとめたものなので一口にこうとは説明することは難しい。
当然だが、反戦活動に否定的な意見を持つ兵士、
戦争経験を経ても講話活動に身を投じるほどの影響を受けなかった兵士、
どんな意志を持っていたにしろ死んでしまって語れない兵士の話も入っていないので、
一側面には過ぎないかもしれないが
普段目に触れない興味深い側面が表れてるので、一読の価値ありです。
国や社会によって善良であることを求められ
それを証明するために兵士になるものの
切迫した状況は
善意や良心のある振る舞いをさせてはくれないし
善意や良心のある扱いはしてくれない。
組織の理論によって犠牲になった人
兵士としての自分が守られたとしても
人間としての自分はその罪に向かい合う人
さまざまな告発と懺悔、そこに至る葛藤を垣間見ることができます。
「マスメディアの寺院」を抜け出るために
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▼『冬の兵士』は、国家と人間との間で引き裂かれた若者たちの、悲劇的な反応を巡る記録である。この本の重要な特徴は、その内容を要約することができない、というところにある。なぜなら本書は、“極私的(きょくしてき)な物語”のかたまりだからだ。
アメリカの神学者ハーヴィー・コックスは『民衆宗教の時代』(1973年)で、人間の社会には「物語」と「信号」という二つの体系があると論じた。そして現代は、「信号」が「物語」を圧倒しており、「われわれの社会は今日(こんにち)、信号の致命的な過重によって災いを蒙(こうむ)っている」(21頁)という。
そんな窮屈(きゅうくつ)な社会の中で生きるためには、「物語」の重要性をどれほど強調してもしすぎることはない、とコックスは訴える。「人間は話をする者であり、物語なくしてわれわれは人間となることはできない」(15頁)からだ。
多様な受け入れ方や、様々な解釈が可能な、「個人的な証言」が増えれば増えるほど、社会が豊かになる。そうコックスは説いた。ぼくも同感である。
▼また、『冬の兵士』は、20世紀の民主主義というものが、いかに「マスメディア」の影響/操作によって成り立ってきたのかを感じさせる本でもある。
「民主主義」という恐ろしい社会に生きるぼくたちにとって、戦争の責任を探る努力は辛(つら)いものである。なぜなら戦争責任の追及は、「民主主義」の社会である以上、もはや時の政治家や官僚に押しつけて満足できる類(たぐい)のものではないからだ。
戦争を仕掛けた側の内部で、「なぜ今、この戦争に反対するのか」について語った個人的な証言を、多角的に、大量に集め、編集し得た、その功績は測り知れない。「民主主義」の生命線は、このような多様な証言、個人的な物語の中に脈打っていると感じる。
▼再びコックスを引用しよう。「マス・メディアの文化は、一つの宗教であり、そしてわれわれはマス・メディアの寺院からほとんど出ることができない」(19頁)。
「マスメディアの寺院」の中だけで生活している人は、自分が「マスメディアの寺院」の中にいるという事実そのものを忘れてしまう。だからこそ、『冬の兵士』とマスメディア報道との間に生じている、厖大(ぼうだい)で信じがたい「ズレ」が、決定的に重要なのだ。
『冬の兵士』を通して読者は、自分自身が「マスメディアの寺院」の中で息をしていることを知り、マスメディアが創造している迷信から抜け出すことができるだろう。
話は、そこからだ。
狂った戦争の隠された実態をなまなましく伝える貴重な証言!
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イラク戦争のアメリカ軍が退廃的な状況にあったことはアブー・グレイブ収容所での、米軍による囚人虐待で広く知られることになったが、本書に納められた証言群は、この虚の口実(大量破壊兵器の存在)で始められた戦争が、最初から最後まで―若者のリクルートから帰還兵士の切り捨てに至るまで―、虚偽と腐敗と倒錯に満ち満ちていたことを教えてくれる。
しばしば十分なサポートもなく市民生活のまっただ中に放り出された若者たちが、ありとあらゆるものに敵意を想定して訓練通りの戦闘マシーンと化し、近づくものすべてに銃弾を打ち込んでゆく。殺した相手が武器を持っていなかったときは、用意しておいた銃を死体の傍らに置く。軍用車が子どもを轢いても、放置する(映画「告発のとき」はこのモチーフを使っている)。間違った家を捜索して、子女をなぐり倒して住居を破壊し、間違った人間をとらえても、「どうせこいつもなにかしている」からと、収容所に送る。殺戮や虐待の動機には、人種的憎悪も含まれる。将官たちは戦場の兵士の現実を無視して、無謀な行動を強い、士官の提言にも耳を貸さず、潤沢な資金を持つ傭兵会社や兵站会社が大きな顔をする。
負傷し、心に重い負荷を負い、時に精神に異常をきたした帰還兵士たちは、軍施設の病院で満足に予約も取れない。抗議すると、さまざまな圧力がかかり、処分され、約束の奨学金も与えられない。こうした異様な経験を経た兵士たちの若さ(二十歳そこそこ)に、恐れを感じざるを得ない。だまして志願させ、見捨てるのだ。「毎日18人の帰還兵が自殺する」現実のなかで、元兵士たちは、一様に自分たちが受けた不正と瞞着に怒り、罠にはまった自分たちがイラク市民にしかけた狂気の暴力を深く悔いて、謝罪している。
「反戦イラク帰還兵の会」がこうした公聴会を組織して、戦争の実態を告発したのは大変重要だ。奇妙な沈黙を通して、大マスコミがこの米国の恥部を必死に隠し、また、近頃は、イラクでの失敗をもみ消して、偉大な米軍のイメージを復活させるために「ダルフールに軍隊を送れ」という運動が盛り上がっているというから。原著から1年、迅速かつ正確に翻訳書を仕上げた訳者たちと出版社の努力とアンガジュマンにも敬意を表したい。ぎりぎりに追い詰められた若者たちの苦渋に満ちた証言を、生き生きと日本語に再現して伝えている。
イラク・アフガン戦争は終わっていない!必読。