「英国学派」が観る世界
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本書は、1950年代のロンドン大学(LSE)において、M・ワイトがおこなった一連の講義を基にした書籍である。
本書を貫く一貫したテーマは、「現実主義」「合理主義」「革命主義」という3つの思想的伝統を提示することにある。この区分は、米国の戦後「第1の大論争」における「現実主義」対「理想主義」の思想的区分に、ワイト自身が疑問をもったたために生まれた。彼によれば「現実主義」と「理想主義(革命主義)」の間に、中庸路線である「合理主義」が存在するのである。本書自体が講義を基にしたものであるため、ワイト個人の思想がどの思想的伝統に傾くものなのか、本書を読む限り「明確に」は示されていない。しかし、H・スガナミやH・ブルによって指摘されるように、ワイト個人はやはり「合理主義」を重視していたのだろう。
その後発展する「英国学派」の世界観の基本的な枠組みを規定し、50年代において、現在の理論研究にも通用する概念を提示したワイトの功績は、多大である。
しかし、若干本書に対する批判に紙片を割きたい。
それは、ワイトの区分する思想的枠組みの曖昧さである。特に議論が3つの観方のサブ・パラダイムを述べる段階になると、曖昧さが一層顕著となる。ワイトは「現実主義」を「攻撃的」と「防御的」に、「合理主義」を「現実主義的」と「理想主義的」に、「カント主義」を「革命的」と「進化的」により細分化する(211項参照)。さらに例えば、「攻撃的現実主義」者であり「革命的カント主義」者である人物(スターリン)、「防御的現実主義」者であり「現実主義的合理主義」者である人物(ビスマルク)というように、思想的伝統をまたぐ人物も存在するという。しかしこれでは、思想的伝統を3つに区分する意味が若干薄まってしまうのではないだろうか。
なお、ワイトの主張する「理論」とは、アメリカの主張する理論と異なることに注意が必要である。後者が主として、独立変数と従属変数を設定し因果関係を明らかにするのものと解されるのに対して、ワイトの主張する前者は、「世界政治を観る観方」という意味での「理論」である。もちろん、前者の「理論」だからといって価値がない、批判されるという訳ではない。しかし、日本において理論とは一般的に後者を指すため、その点には注意が必要であると思われる。