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経済成長なき社会発展は可能か?――〈脱成長〉と〈ポスト開発〉の経済学

価格: ¥2,940
カテゴリ: 単行本
ブランド: 作品社
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経済成長パラダイムを超えて:民主主義的でエコロジカルな自律社会――〈脱成長〉社会――の構築 ★★★★★
「日本の政界や産業界は近代の成長パラダイムを根本から問いに付すことなく、成長社会を維持するための戦略――成長戦略――を新たに計画することに躍起になっている。そこには『豊かさ』の意味を根本から問い直す態度もなければ、また成長社会とはまったく異なる論理で活動する社会を描く構想力も見受けられない。現行の経済体制を維持したままの一時凌ぎの政策では、長期的な社会変化の展望を描くことは困難であり、人々は不安と隣り合わせで生活を続けていくだけである」(中野佳裕)

「〈ポスト開発〉についての理論的省察は、グローバル化した市場社会の危機を明確に予見し、民主主義的でエコロジカルな自律社会――〈脱成長〉社会――の構築という積極的な抜け道を提案してきた。〈ポスト開発〉学派において予見され、そして非難されてきた危機は金融的・経済的・社会的・生態学的なものだけではない。より根本的には、文化的かつ文明的な危機である」(セルジュ・ラトゥーシュ)


本訳書の出版は、日本における「脱開発」=「脱成長」派の、21世紀における「再生」――新しい世代の手による「再生」――をしるす里程標となるであろう。

訳者、中野佳裕(なかのよしひろ)さんは、1977年山口県生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、英国エセックス大学政治学部イデオロギーと言説分析修士課程修了、同大学社会科学とカルチュラル・スタディーズ研究科開発学博士課程修了。開発学博士。専攻は、国際開発論、平和学、社会政治哲学。現在、立命館大学国際関係学部非常勤講師。

本書は大きく分けて四つの部分から成り立っている。第一の部分と第二の部分はラトゥーシュのそれぞれ別の単行本のフランス語からの翻訳(Survivre au developpement, 2004とPetit traite de la decroissance sereine, 2007――邦訳書は二冊の本の「合本」)、第三の部分はラトゥーシュへのインタビュー(Cosmopolitiques13号[2006年]から)、第四の部分は訳者の中野さんによる「解説」である。まず目次の概要を掲げる。

(1)第一部〈ポスト開発〉という経済思想――経済想念の脱植民地化から、オルタナティブ社会の構築へ
序章 〈ポスト開発〉と呼ばれる思想潮流
第一章 ある概念の誕生、死、そして復活
第二章 神話と現実としての発展
第三章 「形容詞付き」の発展パラダイム(社会開発、人間開発、地域開発/地域発展、持続可能な発展、オルタナティブな開発)
第四章 発展主義の欺瞞(発展概念の自文化中心主義、現実に存在する矛盾――実践上の欺瞞)
第五章 発展パラダイムから抜け出す(共愉にあふれる〈脱成長〉、地域主義)
結論 想念の脱植民地化

(2)第二部 〈脱成長〉による新たな社会発展――エコロジズムと地域主義
序章 われわれは何処から来て、何処に行こうとしているのか?
第一章 〈脱成長〉のテリトリー(政治家の小宇宙における未確認飛行物体、〈脱成長〉とは何か?、言葉と観念の闘い、〈脱成長〉思想の二つの源泉、緑の藻とカタツムリ、維持不可能なエコロジカル・フットプリント、人口抑制という誤った解決法、成長政治の腐敗)
第二章 〈脱成長〉――具体的なユートピアとして(〈脱成長〉の革命、穏やかな〈脱成長〉の好循環――八つの再生プログラム[再評価する、概念を再構築する、社会構造を組み立て直す、再分配を行う、再ローカリゼーションを行う、削減する、再利用する/リサイクルを行う]、地域プロジェクトとしての〈脱成長〉[地域に根差したエコロジカルな民主主義の創造、地域経済の自律性を再発見する、〈脱成長〉的な地域イニシアチブ]、縮小することは、退行を意味するのか?、南側諸国の課題、〈脱成長〉は改革的なプロジェクトか、それとも革命的なプロジェクトか?)
第三章 政策としての〈脱成長〉(〈脱成長〉の政策案、〈脱成長〉社会では、すべての人に労働が保障される、〈脱成長〉によって労働社会を脱出する、〈脱成長〉は資本主義の中で実現可能か?、〈脱成長〉は右派か、それとも左派か?、〈脱成長〉のための政党は必要か?)
結論 〈脱成長〉は人間主義か?

(3)目的地の変更は、痛みをともなう(インタビュー)

(4)日本語版解説――セルジュ・ラトゥーシュの思想圏について(中野佳裕)
1.セルジュ・ラトゥーシュの研究経歴と問題関心(フランス社会科学におけるラトゥーシュの位置付け、ラトゥーシュの思想背景、科学認識論プロジェクト――経済想念の解体作業)
2.解題『〈ポスト開発〉という経済思想』(開発=西洋化――われわれの〈運命〉の問題として、発展パラダイムの超克――インフォーマル領域の自律性)
3.解題『〈脱成長〉による新たな社会発展』(〈脱成長〉論――その歴史と言葉の意味、エコロジカルな自主管理運動としての〈脱成長〉論)
4.日本におけるラトゥーシュ思想の位置付け
結語 日本社会の未来のために――平和、民主主義、〈脱成長〉


付録のインタビュー(3)は短いものだが、非常にわかりやすく語られていて「序論――脱成長入門」として本書の冒頭に持ってきた方がよかったのではないかと思った。三十代の若手研究者である中野さんが「本書は、筆者の日本における初の学術的仕事となる」(339頁)と気負っているので致し方ないことだが、本書でまとめられたラトゥーシュの二冊の本は「市民向け啓蒙書シリーズより」(278頁)「共に市民向けの小冊子として刊行され」(279頁)たものである。一般読者が読みやすい順番に配列すれば、本書を途中で投げ出す人が少なくなる――したがって、その方が「市民向け」の〈脱成長〉思想と運動の「啓蒙」と普及に役立つ――とわたしは思うのだが、中野さんどうでしょうか? いずれにせよ、初学者は「(3)付録→(2)第二部→(1)第一部」の順序で読んだほうがよさそうだ。

多くの人びとにとって、ラトゥーシュの議論は、「目から鱗が落ちる」――あるいは(こちらの可能性の方が高いだろうが)「常識外れ」で「拒絶反応を引き起こす」、ないしは「まったくもってばかばかしい」「非現実的な」――議論であろう。それだけ「凄い本」ということだ。

「偉大な知的進歩が、しばしば(はじめは)はげしい反対を招くが、のちには当然視されるのはなぜかというと、それはその新しい見解が、その時代において万人が(自覚的に)考えていることに挑戦するのではなくて、むしろ、万人があまりにも(当然のこととして)無自覚のうちに前提し、それを前提していることにさえ気づかないでいるような思想に挑戦するからなのである。このばあい、最高度に困難なしごとは、この潜在意識的な前提を自覚の白日の下にさらすことなのである。ひとたびこのしごとがなされると、当初の反応は一体(こんな当然の)前提をなぜ疑問視するのだろうかと人々が怪しみ、いぶかることであるが、その後は、ことは比較的簡単にはこぶ。・・・偉大な思想家というものは、万人が当然のことと信じて疑わないほど一目瞭然だと思われることを疑問視する人物なのである」(アラン・ウッド『バートランド・ラッセル――情熱の懐疑家』)

ラトゥーシュの議論の具体的内容については、本書に直接当たってもらいたいが、(1)近代産業=勤勉社会の支配的なイデオロギーたる「経済パラダイム」――経済[技術]決定論や功利主義的人間像、市場経済の拡大と質的深化(さらには、労働力商品化と雇用労働――この点についてラトゥーシュはあまり明確でないが)の自明視を含む――に対する批判、(2)「労働社会」からの脱却、(3)ローカルな自立=自律(人びとが共に生きる歓びを分かちあうことのできる共同性――コンヴィヴィアリティ)の再確立、(4)ふつうの人びとによる自己統治としての民主主義の深化・発展、の四点が特に重要だろう。

「脱成長」の「目的は、より少なく労働し、より少なく消費しながら、より良く生きるための社会を創造することにある」(141頁)。「重要なことは、・・・『悪い経済』を『良い経済』に置き換えること――つまり、経済成長や開発・発展を環境に優しいものにしたり、社会的なものにしたり、あるいは公平なものに塗り替えることで、悪い成長・悪い開発・悪い発展を良い成長・良い開発・良い発展に置き換えること――ではなく、経済(中心主義――引用者)から抜け出すことである」(10頁)。「今日の生産主義的で労働主義的なシステムから脱出するためには、労働よりも余暇と遊びが価値を持ち、そして使い捨てで役立たずの――さらに言えば有害な――製品の生産と消費よりも社会関係が優先されるような、まったく新しい社会組織が必要である」(240頁)。「大事なことは労働社会を救済することではなく、労働社会から脱出することである」(241頁)。「労働時間の短縮とその内容の変化はなによりも社会的選択であり、〈脱成長〉が喚起する文化革命の結論である。政治生活、私生活、芸術的な生活、そしてまた遊びや観照的活動における市民の成熟を可能にするために制約のない時間を増やすことは、あたらしい豊かさの条件である」(236頁)。「ハンナ・アーレントの言葉を借用すれば、活動的生活の中で抑圧されている二つの要素――職人または芸術家の仕事(work)と本来の意味での政治的な活動(action)――が労苦(labour)に対して市民権を回復するだけでなく、観照的生活自体が再生するであろう」(240頁)

ラトゥーシュの議論もきわめて刺激的だが、中野さんによる「日本語版解説」は「解説」の域を大きく超え、「単発論文」として読んでもズッシリ読み応えのある内容だった。二読、三読(吟味、再吟味)に値する本格的な論文である。中野さんのサーベイと問題関心は幅広く包括的で、三十代前半の「若手研究者」による文章とは思えないほどだ。今の日本の、この世代の研究者のなかでは、中野さんはもっとも期待できるホープの一人ではないかと思った。中野さんの今後のご活躍――研究者としても、実践家としても――に期待しています。大学で教えるようになっても、ポルトアレグレの「初心」を忘れないことを祈ります。(ちなみに冒頭の引用文は、「日本の政界や産業界」に対する、あまりにも過大な要求――期待のしすぎ――ですよね。)

「私たちがもし、(みずからの意思で自発的に)グローバルな経済活動を地球のエコシステムの収容能力に見合った規模に縮小し・・・なければ、その結果は不本意で非自発的な経済的衰退と崩壊のプロセスとなり、そうなれば深刻な社会的(および環境的)インパクトを