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ディス・イズ・ディス(紙ジャケット仕様)

価格: ¥1,890
カテゴリ: CD
ブランド: ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
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キーボードの音色と和音のチャンク(塊)ぶりがジョー・ザヴィヌルそのもの ★★★★★
1986年リリースのウェザー・リポートのラスト・アルバム。録音は1985年12月〜1986年1月。ベースはヴィクター・ベイリー、ドラムはピーター・アースキン(ただし、トラック6『Consequently』のみオマー・ハキム)である。

1の表題曲『ディス・イズ・ディス』が特にすばらしい。ゲスト・ミュージシャンとしてカルロス・サンタナが参加しているのだが、実に『効いている』。キーボードの音色と和音のチャンク(塊)ぶりがジョー・ザヴィヌルそのものだ。最後の方でわざと半音外すところがあるのだが、その外しぶりまで完璧に『ザヴィヌル』である。

ラスト・アルバムの『暗さ』など微塵もなく、これからもずっと気に入った連中とジャムって行くんだとつぶやいているようなアルバムである。
WRの歴史的役割とその後のフュージョンについて ★★★★☆
 複雑化したフリー・ジャズの行き詰まりの果てにジャズの進化のベクトルが拡散した中で、フュージョンの波は派生したというのが一般的な音楽史の理解である。マイルスのフリー作品「ビッチズ・ブリュー」に参加したミュージシャン達が担った元祖フュージョンの音(=チック・コリア「リターン・トゥ・フォーエヴァー」や初期ウェザー・リポート(WR)の諸作品)を今聴くと結構フリーっぽい要素が強いという事実はそういった世代交代の過程の象徴的なことだと思うが、80年代前半くらいまでの彼らの音の進化過程というのは、そのまんま「フュージョン」という音の「型」が固まっていく過程だったのだと僕は思っている。

 そういう意味ではこのWR解散作の聴き易さは一つのジャンルの着地点を決定付けたと言えるし、同時にこの作品からフュージョンが単に耳障りの良い音楽に行き詰まっていったとも言えるだろう。バカテク電化フリー・ジャズが炸裂する「アップデイト」が僕も一番の聴き所だと思うが、こういう曲と普通のフュージョン・ファンクが混在しているあたりに、歴史的な役割を終えようとしていた後期WRの特徴が現れていると思う。
Zawinul's Weather Report ★★★★★
 最終作にしてJoe Zawinulが一番演りたかったWeather Reportとの音楽がこれだったとしても私は納得しますよ。すんばらしい音じゃないですか?一体他の誰がこのような音楽を作れると言うのでしょう?他のメンバーは只の客演者だったかのように頂上から見下ろす彼の姿を拝むしかないのでは?ドラムのオマー・ハキムもこのアルバムのセッションは思い出せないと言っていますから、様々なセッションを繋ぎ合わせたかもしれませんが、それにしても一貫した音楽性を保っているのには驚きます。
 ZawinulのSoloとして聴くなんてことを皆さん言っておられますが、全てのアルバムが彼のソロだったと思いますよ。たまたま今回はサンタナを迎えて色鮮やかなギタープレイが聴けるのも嬉しいことだったと思えばいいことですわ。低い評価など全く理解できない。誰も作れないしょこんなの。
ひとりウエザー ★★★★☆
 これはもはやザヴィヌルが1人で作り上げたと言っても過言ではないアルバムであり、これと前後するソロ『ダイアレクツ』と世界が余り違わない。この時期のザヴィヌルがこういう音に目が行っていたのだろう。ある意味ザヴィヌルのデモ・テープのような感じもする。
 このアルバムに対する評価は今も昔も高くないような感じであるし、これに参加したメンバーの間でもこのアルバムはアウトテイク集のようなイメージらしい。オマー・ハキムも「ほとんど覚えていない」くらいだから。
 しかしながら聴き所はある。サンタナだ。サンタナの神通力はウエザーでも効いた!サンタナは実に力強いソロで華を添える。もはやスタジオ・プレイヤーのような扱いのショーターもサンタナに続いて熱いソロを聞かせる。そして必殺の「UPDATE」。この曲最初からアドリブの応酬かと思いきや全部楽譜通りである。恐ろしい。
 マイナスはもちろん、あの黒魔術のようなウエザー臭がほとんど感じられないからだが、20年経った今でも違和感なく聴くことができる。ちょっと、その事実に驚く。
アイデンティティを喪失したWR ★★★★☆
最終作。ジョー・ザヴィヌルがバンドにけじめをつけた作品である。つまり、ウェイン・ショーターという最高のパートナーと別れて活動していく決断をした訳である。
優れたバンドほど作り手と聴き手との間に、常にある程度のギャップを保ちながら進化していく。例えば、新作が届けられ、それに感動した時にはバンドはもう次のステップに進んでおり、受身である聴き手としては、やっと追いつくとまた先に行かれ…を常に繰り返すことになる。W.R.というバンドはまさにそういったバンドであった。だから、なぜ解散なのか?もっと聴きたい。ジョーとウェインの化学合成の素晴らしい成果を享受してきた聴き手としては、正直そういった気持ちであった。しかし、作り手の欲求はまたしても先に行ってしまっていた。
ウェインは自らの新しい道を選んだ。ジョーにとってはかなりの痛手であったに違いない。その後、自らのバンドを結成したジョーがサックスプレーヤーを起用しないこと、また“ペペ”なるブレスコントロールによるシンセを開発し、サックスのニュアンスを自らの手で出そうと試みているのも、ウェイン以外に満足できる人がいない証拠である。一方のウェインも、かつてアート・ブレイキー、マイルス・デイヴィスというジャズジャイアンツのバンドの音楽監督を歴任、サックス奏者としても強力無比なオリジナリティを持ったアーティストであるにも拘らず、ソロアーティストとしては今一つ決定打がなく、むしろミルトン・ナシメントやジョニ・ミッチェルとのコラボレーションが目立つ、つまりカリスマ的リーダーの元で力を発揮するタイプであったから、ソロになるにはそれなりの欲求と決断があったのであろう。
何はともあれ、嘆いても、悲しんでも、賽は投げられてしまった。そして、なんとカルロス・サンタナのギターで幕を開けるこの作品は、最初で最後の、ジョーとウェインのコラボレーションがないウェザー・リポート作品となった。