しかし、社会派の小説としては不十分な点が多い。本作品は、樋口氏自身の田舎生活における狩猟マナーや新旧住民の対立をひとつの原動力として書かれた様だが、ほとんどの登場人物はそれぞれ自らの立場を主張するのみで、問題解決に向けた提示や歩み寄りが無く、心情描写という点で平板な構成である。
田舎暮らしに対する希求が強まっている今、新住民と旧住民といった互いの立場を超えて理解しあえる方法を、稚拙でもかまわないから提示すべきだったのではないか。結局は何をやっても無駄なのかという無力感に苛まされた。
それぞれの心情を立場という型に当て嵌めて、主人公側だけが神の視座に立つ、非常に底が浅い作品である。
社会派小説とも呼べるだろう。産廃行政の問題、人が人を私的に制裁することの是非、封建的な地方の因習とそれにかみあわないよそ者との確執。南アルプスの山麓に居を構えて自ら日々体験しているであろう、そうした問題提起は執拗で、氏の執念が感じられる。
しかし、その重さを吹き飛ばす純粋な空気と爽快感が全編を貫いている。悪者を良い者がやっつけるという単純なストーリーと甲府駒ヶ岳のキーンと冷えて澄んだ空気が、ストレートに読者の心臓にたたき込まれる。
読んだ後に、1人山に登りたくなった。そう、氏の冒険小説はいつもそうなのだ。どこか知らない山に、1人で登りに行きたくなる、すぐれた冒険小説というのは、そうやって男の冒険心を揺さぶるものだ。