もうちょっと
★★★☆☆
原作を読んでみたくなりました。
この本は(日本語版)、イメージがちょっと伝わりにくいかも。
このアメリカのスラムエリアの状況を知っている人からすると、状況のリアリティに物足りなさを感じ
知らない人からすると説明が足りず不親切なお話になってしまう。
普段、感情移入して読むタイプの読者にはちょっと入りづらいかもです。
あたしたちが自分たちを愛せれるように。社会を作りなおすために
★★★★★
少し古い話になるが、GWにプレシャスという映画を見た。面白かった。原作小説の元のタイトルは『プッシュ』。この映画にあわせて発売された文庫本のタイトルは『プレシャス』
以下、メモ
この映画を見た翌日のツイート
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スザンヌ・ヴェガ「ルカ」の聞き、
http://www.youtube.com/watch?v=UCXnJIAQd1o
こっちは歌詞入り
http://www.youtube.com/watch?v=0m9EWNDq9hw
日本語歌詞http://d.hatena.ne.jp/raurublock/20060924/1159024400
を読んで昨日見た映画「プレシャス」を思い出した。しみじみしてて、すごい困難は予想されるけど希望もある、ほんとにいいラストだった
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スザンヌ・ヴェガはけっこう好きで、この歌が流行ったとき、聞いていたんだけど、「児童虐待」の歌だってことをちゃんとわかっていなかったと思う。
内田樹さんがパンフレットに書いた文章をブログに転載している。
http://blog.tatsuru.com/2010/04/29_1027.php
これがけっこう刺激的だったので、映画を見たくなったという側面もある。
ここで内田さんは
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『プレシャス』…はたぶん映画史上はじめての意図的に作られた男性嫌悪映画である。作の何よりの手柄は、過去のハリウッド映画が無意識的に「女性嫌悪」的であったのとは違って、完全に意識的に「男性嫌悪的」である点である。
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と書く。確かに無意識的な女性嫌悪映画を意識的に凌駕してると思う。でもそれを「意識的な男性嫌悪映画」という風に呼びたくない。ダメな奴がダメだと描かれているだけなのではないか。
パンフレットの兵頭知佳さんの解説から<常に両親からの暴力を受けてきた彼女にとっては、自分はこの世界に居てはいけない存在であり、そこに「私」は居ない。そして、居ない私には私を語る言葉がない> そのプレシャスが「私」を回復する物語に感動したい人は見に行くといいと思う。
また、兵頭さんの文章のリードは以下
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「自分の言葉を持つことは、自分を取り戻していくこと」。
今も世界中であらゆる暴力を受けた当事者たちが自らの言葉を紡ぎ出すことで私を取り戻す試みを続けている。
そこにこそ生き続ける希望、世界と再びつながる可能性があるからだ。
「プレシャス」もまた、他者に支えられることで獲得していく言葉によって回復し、再生していく物語である。
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で、映画がよかったので、本も読みたくなった。「プレシャス」という映画と同じタイトルの文庫本(河出文庫)が出ていて、映画のパンフレットにはそれしか紹介されていないが、原題の「プッシュ」というタイトルのハードカバー(河出書房新社1998年)もある。
小説のほとんどは主人公プレシャスのモノローグ、こんな風に始まる。
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あたし、12さいのとき、らくだいされた。とーさんの赤んぼ生んだから。1983年の話。1年かん、がっこーからしめ出された。いま、おなかに、ふたりめの赤んぼがいる。さいしょに生まれたむすめは、ダウンしょーこー。ちえおくれ。あたし、2年せえの、7さいのときにも、らくだいさせられた。字がよめなかったから(それに、まだおもらししてたから)。・・・
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以下、気になったフレーズ
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あたしはあたしとゆう人間なんだ、ってゆいたい。ちかてつで、テレビで、映画で、大声出してゆいたい。ピンクの顔をしたスーツすがたの男たちのしせんは、あたしの頭のうえをとびこえてく。あの人たちの目のなかから、あの人たちのテストのなかから、あたしは消えてしまってるんだ。おっきな声でしゃべっても、あたしはどこにもいない。50p
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助けてよ、かんごふさん、助けてよ、ミズ・レノア。あたしを助けてよ。学校行って、クラスで話して、ひとつおぼえた。それは、自分の気もちははっきり言うこと。アメリカは大きな国だって、ミズ・レインは言う。ばくだんは、ふくしよりお金がかかるって。子どもやなんかをころすためのばくだん、せんそうするためのてっぽう――そういうものは、ミルクとパンパースよりお金がかかるんだって。言うのよ。言うのは、はずかしくない。あんまししょっちゅう言うから、ミズ・レインのことばせんでん文句みたくきこえる。でも、それだから言うんだって。あたしたちが自分たちを愛せれるように。社会を作りなおすために。・・・119p
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映画もよかったけど、本もまた別の味があっていい。
エクリチュールが人間を人間にする
★★★★★
映画『プレシャス』を観て、原作を読みたくなった。映画と違い、プレシャスが女性教師レインと出会い、レインが読み書きを教え、二人の関係と往復するエクリチュールが豊かに発展するのが、本書の骨子をなしている。つまり本書は、プレシャスとレインの往復書簡集なのだ。作者のサファイアは、黒人の詩人、レズビアン、そしてハーレムの学校で長年読み書きを子供に教えた。レインにはサファイアその人が投影されているだろう。プレシャスが初めて絵本の文字を読めた時の会話は感動的だ。「A day at the shore」という語句だが、プレシャスは「shore」という語を知らず、「beach」しか知らない。「ミズ・レインが、<全部通して読んでみてくれる?>とゆう。あたし、<すなはまのいち日A day at the beach>とよむ。ミズ・レインはもーいっぺんじょーできってゆって、本を閉じる。あたし、泣きたくなる。わらいたくなる。ミズ・レインに抱きついて、キスしたくなる。ミズ・レインはあたしをいい気もちにしてくれた。あたし、いままで、なんにもよめなかったんだから」(p81)。だが、ミズ・レインは優しいばかりではない。プレシャスが苦しいときも、ひたすら「書きなさい!」と命じる。日誌を書いて、自分を表現させるのだ。エイズ陽性の検査結果で、プレシャスが絶望の淵にいるとき、二人はこう話す。「ミズ・レイン言う。書いてないじゃないの、プレシャス。あたし、川におぼれそうだって言う。ミズ・レイン、へんな目つきであたし見たりしないけれど、なんにもせずにすわってたら、その川おそってきて、のみこまれるわよって言う。書いたら、ことばがボートになって、向こう岸へ行けるかもしんないって」(143)。エクリチュールは、人間が極限で「ふんばる」(=push、原作の原題)ことを可能にする。
「教育」そして「愛情」
★★★★★
主人公の人生は、「悲惨」としか言いようのないものです。
しかし、それを感じさせない話になっています。
もちろん、主人公の前向きな生き方、考え方もあります。
でも、それ以上に重要な働きをしているのは、「教育」であり、教師や仲間たちの「愛情」です。
そうした支えがあってこそ、主人公は真っ直ぐ前を向いて生きてゆけるのでしょう。
この小説は、主人公の不十分な読み書きに依っています。
それが、ある種ユーモアのようなものを醸し出して、話を深刻なものにしていないと言う面があります。
又、そのままならぬ「書く力」が、「教育」によって徐々にその能力だけでなく、人間としての大きさ、逞しさを齎しているのが解ります。
その辺りの著者の意図は見事に成功しています。
そして、この本の中で語られるイーチ・ワン・ティーチ・ワンの素晴らしい雰囲気も良く伝わってきます。
そしてそれは、「教育」の力の大きさをしっかりと語っています。
こんな教育機関が沢山あれば、もっと社会は良くなり、住みよい社会が出来るだろうにと思います。