戦争を体験した著者の心の叫びが聞こえてきそうな一冊です。
★★★★★
開高健氏の本です。
ベトナム戦記という別の本では外の世界における戦争の一部始終を記録していくのに対し、この本はそのドキュメンタリー的な部分をかなぐり捨てて、自分の内面に入っていき、そして自分自身をえぐりだすような本に仕上がっています。
まったく殻をかぶらないでありのままの姿をこれほど強烈に書くのは普通の人間では無理なのではないかと思いました。
解説では秋山 駿氏が三島由紀夫との話を載せてます。
三島由紀夫は「全て想像力で描いたのなら偉いが、現地に行って取材してから書くのでは、たいしたことではない」という意味のことを言ったということです。しかし、秋山 駿氏はこれとはまったく違う見解を持っていらっしゃいます。見てしまったからこそ、書けないということもあるということです。
これには私も同感でした。
戦争に取材という第三者的な立場で参加した開高健氏がつくづく戦争は嫌なものだと感じた叫びが伝わってきたような、そんな壮絶な一冊でした。
興味のある方は是非ご一読ください。
汗の臭いまでしてくる
★★★★★
「解説」に秋山駿氏が『ここにあるどの一行を採っても、それはさながら
破裂寸前の果実のように緊張している。そんな緊張をこんな長さで続ける
のは、非常の場合である』と、これまた非常に緊張した表現でこの作品の
本質を表しています。
同行した米兵のムッとするような汗臭さや、懇意にしていたうら若いベト
ナム女性との情事の絶頂感までどこからか漂ってくるような、読んでいる
自分も体感できるような。だから所々「シャワーを浴び」と書かれている
のを読むと、なぜかそれらの臭いから解放されてさっぱりする気までして
きます。
これは日記なのか。後から一気に書いたのか。日記とは到底思えないが、
後から書いたにしてはあまりに微に入り細にわたり、現地の濃密すぎる空
気が伝わってきます。書き終えて著者がどれほど心身共にすり減ったか、
容易に想像できます。
迫力に圧倒される
★★★★★
本書はベトナム戦争に従軍した開高健の実体験を書いたのではと思わせるような小説で、ベトナムの茹だるような熱気・湿気と戦争という極限状態の中で、主人公が視て、触れて、感じたことが執拗なまでに詳細に描写されており、読んでいると自分自身が汗・血・腐臭・死体などにどっぷりと浸ってしまうような気がしてくる。ここに登場する人々は主人公を含めて殆どの人がこの世界に沈み込んで出口が見つからないまま澱んでしまっている。不思議なことに主人公が付き合っているベトナム人女性の素娥だけはみずみずしさを保っているようにも見えるが、それは主人公の視点からそう見えるだけかもしれなくて、しばらくすると現実の重さに引き込まれて沈んでしまうのだろう。最後の戦闘シーンで人間としての自尊心すら失った主人公はこの後どう生きていくのだろう。このような極限を体験してしまうと二度と元には戻れないと思う。ベトナム戦争下でもがく人間の闇を切り取って白日に晒したような圧倒的な迫力がある作品だ。
戦争はいやだ・・
★★★★★
今年は、開高健没後20周年。
遅まきながら「夏の闇」を読み、シリーズに逆行して今回「輝ける闇」を読了した。
この長い物語の最後にーー
「・・つくづく戦争はいやだと思った」
という当たり前だが、著者の「本音」がシンプルでストレートに表現されていて
何故か安心した・・・
「人を支配するもっとも陰微で強力な、また広大な衝動、最後の砦は自尊心であった」
「私は泣きだした」
「戦争」は、人間の根源さえも瓦解させられるのである。
今後世の中核を戦後生まれが占め、「戦争」を知らない者達が増えるなかで(小生もその一人)、
これから世界がどう変化していくのか、
果たして「第三次世界大戦」は起こり得ないのだろうか・・
うまく書けないが、
恐慌し混迷している時世で、我々が本当に希求するのは何かを
少なからずこの本は、示唆してくれそうに思える、開高渾身の一冊。
筆者の圧倒的な其の儘
★★★★★
当時のベトナムの現実が圧倒的に迫ってきた。ベトナム従軍記者として赴任された筆者しか表現出来ない。彼は、読む者に自分そして己を取り囲む現実を其の儘に直視し、表現する力を与える。この愚直な世界は、猛々しく、いつの時代でも失われた何かを示すのではないか?