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インターネットが死ぬ日 (ハヤカワ新書juice)

価格: ¥1,470
カテゴリ: 新書
ブランド: 早川書房
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現在のApp Storeに溢れる独創性豊かなアプリ群の増殖を毎日見続けている『ぼくら』には呆れた一冊 ★☆☆☆☆
オリジナルは2008年リリース。邦訳は2009年6月20日リリース。著者ジョナサン・ジットレインはハーバード・ロースクールの教授。イェール大学で認知科学と人口知能の学位。ハーバード大学で法務博士を取得している。ちなみに実際に書かれたのは文中に出てくるが、『最新OSはヴィスタ』の頃のようだ。

のっけからスティーヴ・ジョブズが登場してくる。それでもってアップルIIから一挙にiPhoneへと説明を飛ばしていく。アップルIIからiPhoneへとばして話をする人はそうはいないだろう。だいたい今のユーザはアップルIIを知らないはずだ。大丈夫か、この本、と少し警戒する。その上、『iPhoneの性格は真逆である。独創性を刺激することなく、いわばやせた不毛の技術である』(7ページ)とくる。現在のApp Storeに溢れる独創性豊かなアプリ群の増殖を毎日見続けている『ぼくら』には呆れた一言だ。他のレビューアの方で前書きだけ読んで止めた方もいるようだが、その考えは正しいだろう。

結論から言えばこの著者はソフトウエア・ネットワーク・ハードウエアいずれも知識が薄い。法律では計れないグローバルなものを無理矢理計ろうとしているようにしかぼくには感じられなかった。読了してほとんど参考にならない希有な一冊だ。
少々難解だけど、必読の本 ★★★★☆
ハヤカワ新書juiceの第3冊目。

これまで読んできた中では、前の2冊、そして、この後に続く『ロングテール(アップデート版)―「売れない商品」を宝の山に変える新戦略 (ハヤカワ新書juice)』などに比べて、難しい本だと思う。単純に読む時間もこれまでで最長だし、内容自体も難しいと感じた。そして、本書で指摘されているような考え方は、日本で日常的に、目にする議論ではないと思うが、今後のあり方を考えた場合、非常に重要なものだと思う。

難解に感じる理由としては、扱っている内容に対する知識の不足にあると思う。この本は、インターネットの発展の歴史、現状、そして、今後を論じている。そして、コンピュータのハードウェアの面、通信の規格等、技術的な知識を持っていないことがある。また、そのコンピュータの発展をリアルタイムで目の当たりにしていないので、どうしても、完成品としてのコンピュータしか想像できない。一方、サービス、或いは、ソフトウェアについてはWikipediaなど最近のものについても例として挙げられており、こちらは比較的理解しやすい。

また、難解に感じる原因のひとつであると同時に、本書が重要であると思う理由は、本書がある意味で哲学的であることだと思う。本書では、インターネットなどのサービスを、余計な規制の無い肥沃な存在と、規制で制限されたひも付きの状態という対立軸を提示する。様々な可能性を持つ前者では、可能性と同時に、法律が守られない、個人のプライバシーなどのマイナス面がある。一方、行者では、安全と引き換えに、可能性を手放す。本書は、可能性を失わず、かといってマイナス面を抑えるには、どうあるべきかなどを論じているが、日本において、これらのレベルでの議論が広く行われていると印象はない。もちろん、専門家は違うのだろうが、こういった議論は、もっと国民レベルで一般の市民を巻き込んだ形で行われるべきだと思う。

本書は読むにはそれなりにタフだと思うが、その示唆するところは非常に重要だと思う。
人間が扱うハイテクノロジー ★★★★☆
とにかくネット関連のアジ本には筆者のオツムを疑うような内容のものが多いのだが、これは数少ない良書である。

今このレビューを見ている9割の方々は、ブラウザを介しパソコンのディスプレイとにらめっこしているのだと思うが、おそらく10年後にはもうこのライフスタイルは「古いもの」になっている。
iphoneのような小型端末がどんどん進化すれば、狭義の意味での大仰な「パソコン」は居場所を無くすであろう。なぜなら、今パソコンでやれるようなことが全て携帯電話サイズで可能になるであろうからだ。

20世紀というのは、有史以前〜以来まで紡がれてきた各地の文化をグローバル化させ、極限まで洗練させた時代だった。
つまり、「何もないところ」から人間が創造したものは、もう大半が洗練され切ったと言えなくもない。
儀式は物語となり演劇となり、映画となった。ハリウッドの大迫力CGシネマは、その本質は原人の儀式と変わりがない。カタルシスを得る箇所が同じだと言うことだ。

21世紀はネットワークによってそれをさらに推しすすめつつ、次代へ繋がる新たな「創造」を「発見する」ための時代であるはず「だった」。というのが、この本の概観である。
良くも悪くも米国自由主義に右往左往・・・ ★★★☆☆
米国はコンピュータやインターネットを生みだし、先駆者としてのアドバンテージを駆使しながら自由競争資本主義をひた走りして金融工学を生み出し、そして突如破綻した。金融の破綻で世界中の経済が混乱してもコンピュータやインターネットの責任までは話が及ばない。しかしそこにある自由競争主義の思想は共通するもので、その恩恵にあずかる者はそのことに気づかないが、この本を読む限り「自由」の旗印を高らかと掲げて先頭をひた走ることだけを願っている米国病とも言える自由原理主義が背景に感じ取れる。その自由原理主義者にとっては、その地平上にアプライアンス と呼ぶ異質な境界が出現したことはゆゆしき出来事のようだ。
本来のインターネットの肥沃な地平とアプライアンスの境界をSDKによってブリッジしていくiPhone のコンセプトは、肥沃な大地に終始していたこれまでのインターネットから、ひらりと空中に舞い上がり大空を舞台にしていこうとするエレガンスなビジネスの未来を感じる。そこには従来の地上とは異なる未来感があるのだが、その未来感覚そのものが自由競争原理主義の麻薬性に寄って立っていることでもあり、そんな俯瞰をしてみるための書籍としてこの「インターネットが死ぬ日」だけでなく、他のハヤカワ新書を読んでみるのも悪くはないと思う。
インターネットを殺さないために ★★★★★
早川書房が新しく出した新書シリーズの第2弾。他の本は読んでないけど、これは面白そうなので読んでみたが、想像以上に面白かった。

最初の方は、主にインターネットの歴史が書かれている。パソコンとインターネットという技術の持つ特性が、いかに新しい価値を生み出してきたか、という視点で描かれている。この点に関しては、まったく異論はない。
インターネットというプロトコル以外にはあまり規制のない技術とユーザ側が自由にソフトウェアをインストールすることでいろいろなことができるようになるパソコンの両方が存在して、初めて今のようなインターネット社会が到来した。

続いて、現在の問題点、すなわち今やSPAMメールやウィルス問題、著作権やプライバシー問題によって、自由なネット環境が制限されようとしていることによる「生み出す力」の喪失が問題提起されている。
確かに、著者の言うとおり、規制をかけることによって安全性は高まるが何か新しいものを「生み出す力」、リッチなネット社会は遠くなりそうだ。

でも、今の日本でそんなリッチなネット社会は求められているのかな。ほとんどの人はネットにつなげる時代になったけど、学生とかパソコンよりも携帯電話でネットやメールをしているのが現実。コンテンツの充実にこそ関心はあれ、「ネットの自由」ということにはあまり関心がないのではないか。「生み出す力」のもとである「ネットの自由」を必要としているのはごく一部の人だけなのかもしれない。

むしろ、それが問題か。これからのネット社会を豊かなものにするためにも、ネットの規制のあり方は真剣に考えるべきだろう。
しかし、日本ではこういう議論は少ないなぁ。子どもにケータイを持たせないとかしか、思いつかないのだろうか。