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かなづかい入門―歴史的仮名遣vs現代仮名遣 (平凡社新書)

価格: ¥777
カテゴリ: 新書
ブランド: 平凡社
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現代仮名遣いを擁護している。論議は公平で客観的で冷静である。 ★★★★★
 「かなづかい入門」となっているがかなづかいに関する最高水準の議論が展開されている。
 世間には歴史的な仮名遣いに対する信奉者が多く、昭和21年に制定された現代仮名遣いに対する様々な非難ーいわく学問的に正当性がないとか、歴史と伝統を破壊する等という非難が行われている。これに対して著者は仮名遣いの変遷を説明する中で、多くの非難に根拠がないことを明らかにしていく。明治になって導入された歴史的仮名遣いは千年以上前に使われなくなった発音の区別を日常の文章を書くときに区別することを強要するという意味で時代錯誤な表記法であったと述べている。
 芭蕉の奥の細道を記述するのには歴史的仮名遣いより現代仮名遣いの方が正しく記述できると言う事実などを指摘してあり、話は公平で説得力がある。
 日本語に関心のある人にお勧めの一冊である。
現代人の日常的規範仮名遣いとして現代仮名遣を擁護する本 ★★★★☆
「はじめに」に「歴史的仮名遣と現代仮名遣のどちらかに肩入れしよううとするつもりは、ない」とあるが、実質的には現代人の日常的規範仮名遣いとして現代仮名遣を擁護する本。著者は文部科学省で国語教科書の検定に従事する役人。

仮名遣という用語は、書き方の手本となる「規範仮名遣」と、あるテキストにおいて実際にどう書かれているかを明らかにする「記述仮名遣」という概念が無分別に使われていて、混乱をきたしているという。

規範としての仮名遣は一種のルールだから、学問的正当性よりも、シンプルでわかりやすく、守りやすく、変化しないのがよい、ということになる。

歴史的仮名遣は江戸時代の契沖とその流れを汲む学派の研究による「契沖仮名遣」が元になっている。しかし、その仮名遣は同時代の人が日常的に文章を書くための規範ではなく、和歌や擬古文を書くための規範であった。

明治政府がこの契沖仮名遣をもとに作ったのが「歴史的仮名遣」であるが、現代文を書く規範として採用したため、いろいろな問題が生じた。

ひらがなカタカナは平安時代初期に万葉仮名(真仮名)をもとにして成立したが、当時の発音をそのまま書いたと考えられる。たとえば「今日」を「けふ」と書くのは「ケフ」と発音していたからである。(その後発音が変わったが、書き方は変わらなかった)。

ところが、現代文では平安時代に無かった言葉も書かなければならない。そうすると、平安初期の人ならこう発音したであろう、という推定をして仮名遣を作り出すことになる。

たとえば、歴史的仮名遣では「シマショウ」を「しませう」と書くが、平安時代にはそんなことばはなかったので、発音の変化を遡って、仮想的に古い形を想定する。つまり、「う」は未然形につく助動詞なので、ます」の未然形「ませ」に「う」がついて、maseuのeuの音がyouに変化したと考える。(さらに「ョウ」は「ョー」に変化する)。

このような判断は語源が簡単に推定できる場合は比較的確実だが、「どじょう」のように語源がわからないものは仮名遣が確定できない。(どぜう、どぢやう、どづを、その他複数の書き方が行われた)。

さらに漢字の音読みにどういう仮名遣をあてるかは、ほとんどすべての字について暗記するより無い。

歴史的仮名遣は、規範としては極めて使いにくいものだった。

また、(規範)仮名遣は書き方の規範であって、発音の法則ではないと再三強調される。

たしかに「かは」カワ、「にほひ」はニオイ、「てふ」はチョーと読むなどと覚えた気がする。しかし、表記の規則なのだから、こう読めという話ではなく、河という言葉を歴史的仮名遣では「カワ」と書けと説明するべきなのだ、と著者は主張する。

我がことを振り返ってみれば、確かにそのようには教わらなかった。というより、平安初期には本当に書いてあるように発音していたのだ、という事実を知ったのが高校生になってからである。それまでは、なぜこんな発音と違う書き方をするのか、全くわからなかったわけだ。それなりに、日本語に関する本を読んでいるような子供だったのにである。

戦後に現代仮名遣を制定して(内容としては、急に作ったものではなく明治以来の研究の結実だと強調されている)、江戸の伝統である国文学との決別を果たした仮名遣と対照的に、学校文法は相変わらず明治の橋本文法の影を引きずっていて、現代の研究成果から見れば、ほとんどの学者が賛成しないような内容になっている。こちらも何とかならないのだろうか。

珠玉の「かなづかい」入門書 ★★★★★

「かなづかい」を考える入門書として、珠玉の出来だと思います!
言語の持つ宿命である「変化」(特に音韻変化)と「表記」との着地点を模索してきた歴史の概観は分かりやすく、とても勉強になりました。コペルニクス以後の考え方やものさしを、コペルニクス以前に用いないというアプローチで、定家仮名遣を読み解くあたりは圧巻です。
定家も契沖も宣長も、そして「現代かなづかい」&「現代仮名遣い」を整理した20世紀の国語学者たちも、永遠にすっきりとは線引きされることはないであろう、音韻「変化」と「表記」との着地点を悩み苦労して模索したのだと思うと、先人の知恵と努力に感謝です。おかげさまで、いまストレス少なく、日本語を表記しています。そして、そのことを教えてくれた筆者にも感謝です。
言語の変化を楽しんで分析したいと常日頃思っている私にとって、本当に楽しい1冊でした。
絶対にお勧め致しません ★☆☆☆☆
「かなづかい入門」とは名ばかり、「現代仮名遣い」を便宜主義に基づいて肯定し、其の立場から歴史的仮名遣に対して不当な非難を浴びせる内容の駄本である。日本語の書き言葉を大切だと感じて居る人には絶対にお勧め出来ない一冊である。不承不承紹介する。
私なら此方を紹介する→私の国語教室 (文春文庫)
現代人は現代仮名遣を使うのが一番 ★★★★☆
戦前の人は歴史的仮名遣(通称 旧仮名遣い)で読み書きしていました。戦後になって、現代仮名遣(同 新仮名遣い)が決められ、これがスタンダードになりました。

唐突ですが、創価学会の経典は法華経と鎌倉時代の僧・日蓮の書いた文献の集大成、「日蓮大聖人御書全集」(略称:御書)です。

この御書(ごしょ)の仮名遣いは、どちらかと言えば、新仮名遣いと大差ありません。ぢゃー、旧仮名遣いは、一体いつ頃から、こうなったのかを知りたいと、30年前から思っていましたが、その疑問に答える本に、ようやく巡り会った気がします。

ところで、本書は、新仮名遣いに対する論難にも答えています。
曰く、新仮名遣いは合理的でない。
これには、「学問的合理性は規範の必要条件か」と題して反論。

また、第5章のタイトルは次のとおりです。
「悪魔の規範――歴史的仮名遣の非実用性」

丸谷才一などは、歴史的仮名遣い絶対主義者です。その著「文章読本」は、すべて旧仮名遣いで書かれています。私は以前から、丸谷の主張に、うさん臭いものを感じていました。

その点(まだ読み始めたばかりですが)白石氏の仮名遣い論議はどうなるのか、わくわくします。

これ、昨日書いた内容です。結局、徹夜して読了。
いやー、おもしろかった。納得の一言。

現代人は現代仮名遣を使うのが一番と分かりました。
わざわざ、旧仮名遣で書く必要がないことも。
なお、本書は次の本の説のほとんどを否定する立場です。

萩野貞樹『旧かなづかひで書く日本語』幻冬舎新書

他に類書を読んだことがないので、最高とするのには躊躇しています。それで、暫定的に星4つにします。