津軽のジョッパリ、寺山修司の見事な肖像。
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どんな鳥だって
想像力より
高く飛ぶことはできない
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一見、口当たりのよいリズムの優しい文章が、
どんな血ヘド吐く心理から吐かれたコトバであるか。
(寺山の歌はみんなそうだが…)
本書巻末にある、
寺山修司の晩年の文章が泣ける。
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とうとう父親になれなかった。
遠沖を泳いでいる一匹の老犬を見ていると、そんな感情が私を捉えた。
(中略)
「わたしにだって、父親になるチャンスは、何度かあったのだ」
だが、私は父親になることを望まなかったし、
自らを増殖させ、拡散することを、
拒んできた。
私は、私自身の父になることで、せい一杯だったのである。
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最後の一行が効いている。
全身全霊で表現に賭けた人の、覚悟の上の人生の慟哭のコトバ、と言うほかない。
「私が、私自身の父になる」とはどういうことか?
寺山のこの種のレトリックが大好きだ!
寺山の父は、たしか寺山が5歳頃に出征し、9歳の頃、戦場で果てている…
最期の、最期の時まで寺山に寄り添った同じ舞台人の著者だからこそ書けたレクイエム!!