薩摩の芋侍と蔑まれた時期、野心はあっても卑屈にはならず、己の力を信じて剣の道に活路を見出そうとする半次郎は、決して自分本位に出世を望むのではない、母や妹ら家族の幸せを心から願うまっすぐな心根の青年。
なかなかの美丈夫で腕はたつのに、心を許した人間には滅法甘えん坊になるところがなんといっても魅力です。そういう相手に対しての独特の声音「はァい」は、もうそれなしでは半次郎ではないというくらい目に焼きついて、いちいち読み手の心を解かします。
女性との関わりから導き出される半次郎の優しさや純粋さも見事。
薩摩で情愛を交わした幸江に抱きつづける深い想いや、初めて触れた京の女・おたみに対する疼くような少年めいた恋心、師であり友であり性愛の対象でもある法秀尼との広い意味での情交、それらすべてが半次郎という人間の繊細な部分をすっぽり包み込んで護ってくれているように感じました。
同じく西郷隆盛への崇敬も無防備すぎるくらいまっすぐで、なんの打算もなくただ感じるままに人を信じ敬う半次郎の心の美しさが眩しいくらいです。こんな風に思われたら、裏切れまい。
「人斬り」と題されてはいますが、度々命の危険に曝される緊迫した剣戟シーンがあるにも関わらず、殺伐とした幕末の陰惨さを感じないのは、こういう人との関わりあいの中で、半次郎が人としての本分を失わず剣を振るったというなによりの証拠でしょう。
ただ、その合間にも冷静に幕末の薩摩情勢を捉える池波先生の視線があって、徐々に半次郎の心構えも変わっていくのが手にとるようにわかるので、賊将編でどんな変化が出てくるのか、目が離せません。