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中陰の花 (文春文庫)

価格: ¥420
カテゴリ: 文庫
ブランド: 文藝春秋
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   第125回芥川賞受賞作。予知能力を持つという「おがみや」ウメさんの臨終に際して、禅寺の住職則道とその妻圭子の織り成す会話から、「死とは何か」「魂とは何か」を見つめた作品。先に発表された第124回芥川賞候補作『水の舳先』では、死を間近に控えた人々がそれぞれに救いを求める様子を描いていたが、本作は肉体的な死を迎えた後、いわゆる「死後の世界」を主なテーマにおいている。

   虫の知らせ、三途の川、憑依、そして成仏。それら、生きている者には確かめようのない民間信仰や仏教理念に、僧・則道が真摯に向き合っていく。ともすると、専門的、宗教的すぎてしまう題材ではあるが、「人は死んだらどうなんの」といった無邪気な言葉を発する妻の存在が、一般の読者にも身近な内容へと引き寄せてくれる。また、則道が、ネットサーフィンで「超能力」を検索する様子や、病院でエロ本を眺める場面など、自らが現役の僧侶である著者ならではの宗教人の等身大の姿が、物語に親近感を持たせていると言えよう。

   表題『中陰の花』のイメージとして使われている妻が作る「紙縒タペストリー」の幻想的な華やかさが、いまひとつリアルに伝わってこないのが残念ではあるが、これまで追ってきた厳粛なテーマをすべて包み込むような関西弁の台詞でのエンディングが、読後にやわらかく、心地よい余韻を与えてくれる。(冷水修子)

中陰の花もいいが「朝顔の音」もいい。 ★★★★☆
芥川賞第125回受賞作。
中陰の花はもちろんいい。

人は死んだらどうなんの?と聞く坊さんの妻。
なんともいえないほのぼのとした味わいとリアル感を醸し出しています。
すぐ傍にそんな女性たくさんいそうです。

誰もがそう生きてそう考えていそうな雰囲気が身近でいいです。

でも本当は、こんな紙縒りばかり作る手作業好きな女性は
今時少ないですよね。

物語の展開は最後には、
日常の中にひそむちょっとした異空間を垣間見せてくれます。

一緒に入ってる
「朝顔の音」怖くていやらしくて、大人な世界を見せてくれます。
これも日常の隣近所にいそうかなコンビニ的な世界です。
荒いストーリー描写ですが、想像を刺激するいい話です。

じっくりゆっくり書いたらこのテーマはもっといい小説になる気がした。
一般受けは、こちらの小説がするかも。

エロっぽさが特によかった。


現役の禅僧侶が真摯に問う生と死のありようとは? ★★★★☆

この世界で無邪気に振る舞う科学の横暴を制止することもできずに戸惑う現代人に対して宗教者、僧侶はどう応える?
 
分別(有/無)の世界を超えた冥界、あるいは異界という存在の肯定は、オカルトすれすれだが、しかし玄侑氏は背を向けず、真摯に真正面から描こうとしている。

 科学的世界観の否定は即、現代の世界を否定するものでない。登場人物たちは科学的合理性からややずれたところにいる人たちで、ある種、近代人が失った「あちら」の世界を垣間見たり、自在に行き来できたりする能力がありながら、心に影をもって生きている姿がここには描かれている。

 この小説は生と死が捩れて絡み合った煩悩に苦しむ現代人の救済を描こうとしている。仏教徒として今何ができるかという問いがある。
 
紙縒りという道具が宇宙の象徴にまで昇華されていくクライマックスはとても印象深く、祈りのもつ強さを感じ取ることができるだろう。

 併録されている「朝顔の音」という短編も、また生と死が二分された世界に生きる現代人の引き攣れを描いた佳作である。生と死が一瞬交差する濃密な捩れに出会えば、私たちもまたヒロインとともに訳もわからずただたじろぎ、途方に暮れるほかないのかもしれない。
 朝顔が地上と天界(生と死)を繋ぐイメージを造形する筆の運びはなかなか巧みで感心した。
死を分かったかのように生を説く凡百の本よりは遥かにマシ ★★★☆☆
 表題作では、色々と不思議なことは経験したこともあるものの、現役僧侶の主人公(と作者)にとっても死というものは何かよく分からない。そのぼんやりした死を正面から見つめて、医者や拝み屋、一般の人々が思い思いの立ち回り方をする。結局、此岸の人間が思い思いに亡くなった人間を思い、コミュニケーションを取っていくしかないようだ。現役僧侶が自分の宗派にとらわれずそのような思いを書いたことで、この作品は評価を受けた。が、他のレビュアーも書いているように、その程度のことは近親者を亡くした経験のある人は、誰でも感じて知っていることだろう。僕は新しい視点を期待したので点は渋くつけたが、敢えてこの作者を擁護するとするなら、その書きぶりが上品だという点である。かくも死を題材に小説を書くということは難しい。

 小説としては、僕は「朝顔の音」の方がデキが良いと思う。ただ、女性、特にこの主人公と同じようにレイプと堕胎を経験した女性がこの本をどのように受け取るのかはよく分からない。もしかしたら不快に思う方もあるかもしれないので僕は判断保留せずにはいられない作品だが、こういう問題は表現の世界から避けて通し隠してしまうのではなく、誰かが題材に取り上げなくてはならないだろう。

 どちらも作者からは遠い視点や境遇を持った人々の死者への思いや祈りが出てくる。完全に知ることはできないそのような思いを敢えて書いた作者の心意気は買う。点数付けに迷うが本当は3.5点を付けたい。本来「生きること」を真摯に説こうとすると、必ず死は避けて通れない論題のはずだ。死んだこともない我々人間が、おこがましくも他人に生や死を説こうとする嫌らしい言葉に溢れた現代では、この作者の控え目さはやはり真摯ではある。
フインキはいいんだけれど・・・ ★★★☆☆
「中陰の花」、「朝顔の音」両作品とも仏教観とかは、よく解りませんが納得させるものが あり楽しく読めました。
しかし「中陰の花」・「作者本人解説」の量子力学エピソードや、「朝顔の音」のコンビニでの仕事内容のディティールなど、良くお勉強してきましたという感じで興ざめでした。
人間が素朴に感じる宗教以前の救い ★★★★☆
「死とは」「よく生きるとは」「死者との距離感」などの問題について、多かれ少なかれほとんどの人は疑問や不安感があると思うが、この短編の中で著者は、亡くなった人の四十九日までの主人公の心の移り変わりを描いて「生命とは関係性を持つこと」というメッセージを紙縒りのエピソードを用いて極彩色に描く。読み終えて、何か心が落ち着き、人に優しくなれるような、そんな小説であった。