とはいえ、この偏屈ぶりで自作を書くのは命を縮める難業だったことが容易に推測される。 倉橋も以前レース編みに例えていたことがあるが、可愛らしい編物というより、強固な編目を頑固な緻密さで組んでいく工芸品としてのレースのイメージだろう。 北欧のどこかに、伝統工芸としてのボビンレースがあったが、厳しい冬や、荒海の容赦無さか何か、強力な外界の力に対して無言で拮抗していくような編目の密度がある。 それでいて、ペルシャ絨毯のような息苦しさは無くて、あくまでレース編みの軽やかさを保つ。 そんな感じ。
伝統工芸のレースもそうかもしれないが、倉橋の作品も、見た目の軽やかさとは裏腹に、持ってみた時の「重さ」は作者本人の意図に反するほどになることがあるだろうか(練達にそんな心配は不要?)。 絨毯は少女たちが若い時間を削って編み込んでいく「重さ」が相応しいが、レースの方は、老女たちの限られた時間で、適度に乾燥させながら編み上げる「軽さ」が求められそうだから、晩年のこの書評集はとても良い。
自分は素人で、気楽にブログなど書いているが、倉橋ほどの精神の健康さは無いので、プロでなくて良かった。 まったく。