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偏愛文学館 (講談社文庫)

価格: ¥99
カテゴリ: 文庫
ブランド: 講談社
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倉橋氏の魅力の源泉を辿ると言う意味でも価値がある書評集 ★★★★☆
私の愛好する倉橋氏の書評集。著者一流の辛辣な批評を期待したのだが、「偏愛」と言う題名が示す様に、著者の好みの作品を集めてある。"駄作については語らぬが一番"と言う姿勢である。著者が最も敬愛していたであろう澁澤龍彦氏の作品からは「高丘親王航海記」が採られている。

漱石、鴎外から始まる意外な構成だが、トーマス・マン、カフカ、カミュ等も採っている事から、一般読者向けと言う点をある程度意識しているのであろう。それでも、倉橋氏らしく、所謂人情物、勧善懲悪的な道徳に縛られたもの、予定調和的な作品、日本風私小説は一顧だにしない。気持ちが良い。その代わり「偏愛」するのは怪談を含む(心的)異形の小説である。"怪物的人物"、(カミュの作品名ではないが)"異邦人"を扱った、ある意味"夢魔"的("神話"的とも言える)な作品が好みの様である。漱石から採っているのも「夢十夜」であり、「雨月物語」、「卿斎志異」も採られている。私は未読だが、ジュリアン・グラック、イーヴリン・ウォーの様に複数作品が採られている例もあり、その作品の内容は理知に裏付けされた夢魔的物語の様である。カフカからは短編集が採られているが、これらを総合して倉橋氏自身の「スミヤキストQの冒険」、「アマノン国往還記」を想起させる紹介内容となっている。私は、J.グラック、E.ウォーの作品を読みたくなった。

倉橋氏に依ると、良い作品は再読したくなるもので、その文体を真似したくなるようなものであるそうである(倉橋氏が実際に真似をしていると言う意味ではない)。本書はガイドブックとしても機能するが、倉橋氏の愛好者がその魅力の源泉を辿ると言う意味でも価値があると思う。
おすすめ本の玉手箱。思わず読んでみたくなる本がいっぱい ★★★★★
 著者・倉橋由美子が、「この小説、ここいら辺が面白いんだなあ」と紹介していく手つき、センス、目の付けどころ、何より文章がとてもいいので、「あ、それ、読んでみたいなあ」という本が何冊も出てきた書評集。以下に引いた文章のごとく、「言い得て妙だなあ」「上手いこと言うなあ」という件りが、あちこちにあります。

<その文章は食べ出すとやめられない駄菓子のようで、しかもそれが「本邦唯一」という味ですから、雑文の断片まで拾って読み尽くすまではやめられないのです。>(内田百けん『冥途・旅順入城式』)
<三島由紀夫は尋常ならざる作家で、その作品は強力な虚無、あるいは死に取り囲まれているために、直視すると目がつぶれそうな太陽にも似た輝きをもっています。その短編はどれも「悪」の濃度が高く、毒薬を口に含んで味わうような趣があります。読み終わってそれを吐き出すか、そのまま飲み下すかは読者の自由です。>(三島由紀夫『真夏の死』)
<上滑りせず、呼吸を乱すこともなく、変化する言葉とともに歩いていくことで時間がたって、読みはじめた時午前の日差しが障子に差していたのが小説が終わった時には遠い山に夕日が当たっていることに気づけば、読んでいた間は至福の時間だったというのも余計なことで、その時間は日差しの変化を感じながら呼吸している自分の時間につながります。>(吉田健一『金沢 酒宴』)

 上記作品以外、本単行本に取り上げられた著者の偏愛作品(おすすめ本)は、次のとおり。
◎夏目漱石『夢十夜』 ◎森鴎外『灰燼/かのように』 ◎岡本綺堂『半七捕物帳』 ◎谷崎潤一郎『鍵・瘋癲老人日記』 ◎上田秋成「雨月物語」「春雨物語」 ◎中島敦『山月記 李陵』 ◎宮部みゆき『火車』 ◎杉浦日向子『百物語』 ◎蒲松齢『聊斎志異』 ◎『蘇東坡詩選』 ◎トーマス・マン『魔の山』 ◎『カフカ短篇集』 ◎ジュリアン・グラック『アルゴールの城にて』 ◎同『シルトの岸辺』 ◎カミュ『異邦人』 ◎コクトー『恐るべき子供たち』 ◎ジュリアン・グリーン『アドリエンヌ・ムジュラ』 ◎マルセル・シュオブ「架空の伝記」、ジョン・オーブリー「名士小伝」 ◎サマセット・モーム『コスモポリタンズ』 ◎ラヴゼイ『偽のデュー警部』 ◎ジェーン・オースティン『高慢と偏見』 ◎『サキ傑作集』 ◎パトリシア・ハイスミス『太陽がいっぱい』 ◎イーヴリン・ウォー「ピンフォールドの試練」 ◎ジェフリー・アーチャー『めざせダウニング街10番地』 ◎ロバート・ゴダード『リオノーラの肖像』 ◎イーヴリン・ウォー『ブライツヘッドふたたび』 ◎壺井栄『二十四の瞳』 ◎川端康成『山の音』 ◎太宰治『ヴィヨンの妻』 ◎吉田健一『怪奇な話』 ◎福永武彦『海市』 ◎北杜夫『楡家の人びと』 ◎澁澤龍彦『高丘親王航海記』
軽やかで深い偏屈書評集 ★★★★☆
すでに重病を患っている認識がある倉橋は、倉橋自身が何度も作品の中に登場させている老人たちのように、他人への遠慮というようなものが無くて、書評という形の本作品でも強い偏屈ぶりを見せている。 まさしく「偏愛文学館」という書名がふさわしいし、倉橋の自作も含めた「小説を書くこと」への価値基準のようなものが、ストレートに読めて嬉しい。 若いころに書かれた作品の登場人物と、死を視野に入れた現在の作者が、似た顔つきで端座しているのを見ると、価値基準の強さを感じる。 それも病的な感じは微塵もしないので、精神の確からしさが伝わる。

とはいえ、この偏屈ぶりで自作を書くのは命を縮める難業だったことが容易に推測される。 倉橋も以前レース編みに例えていたことがあるが、可愛らしい編物というより、強固な編目を頑固な緻密さで組んでいく工芸品としてのレースのイメージだろう。 北欧のどこかに、伝統工芸としてのボビンレースがあったが、厳しい冬や、荒海の容赦無さか何か、強力な外界の力に対して無言で拮抗していくような編目の密度がある。 それでいて、ペルシャ絨毯のような息苦しさは無くて、あくまでレース編みの軽やかさを保つ。 そんな感じ。

伝統工芸のレースもそうかもしれないが、倉橋の作品も、見た目の軽やかさとは裏腹に、持ってみた時の「重さ」は作者本人の意図に反するほどになることがあるだろうか(練達にそんな心配は不要?)。 絨毯は少女たちが若い時間を削って編み込んでいく「重さ」が相応しいが、レースの方は、老女たちの限られた時間で、適度に乾燥させながら編み上げる「軽さ」が求められそうだから、晩年のこの書評集はとても良い。

自分は素人で、気楽にブログなど書いているが、倉橋ほどの精神の健康さは無いので、プロでなくて良かった。 まったく。

最後の恐怖短編集 ★★★★★
拡張性心筋症が重態化すれば,あとは移植手術以外に延命の手段はない.こうなると,死を覚悟するのが最良の生き方となろう.するとこの世に怖いものはなくなる.怖いものがない人ほど怖い存在はない.この本はこのような人が,大切に思う作家について論じた短文を集めたもの.読む側にとっては最高の恐怖文集である.漱石論,ハイスミス論,福永武彦論,すべてここまで誰も言わなかった正論が読む者をぞっとさせる.しかし正論なので,爽快感を与えてもくれる.著者晩年の作品の内幕も,少し明かして貰える.素晴らしい本ではあるが,もうこの人がいないのか,という喪失感もまた一入.