"共産趣味"的耽美小説。
★★★★☆
少女:未紀の虚実を交えた(勿論読み手の世界から見れば全部ウソなのだが)日記が良かった。
私は小説内小説という設定が元来好きになれないタチなのだが、それを差し引いても面白かった。
真っ当な「共産主義」ならぬ「共産趣味」的情緒も新鮮であった。
共産主義本来の意図を離れ、その形式のみを借りてチャチな逆心を満たそうとするヒネクレ者の少年達。
彼らがバス内で労働者を貶めるくだりに、ゲームとしての共産趣味の楽しさと虚しさが感じられた。
重要語句に傍線を引く、という手法は縦書きの小説では初めて見たが、
今まで未見だったのがフシギなくらいである。傍点が良くて傍線が悪いという決まりがあろう筈がない。
作者の言語感覚がとにかく素晴らしい。
簡明ではないが、装飾過多でゴチャゴチャしている訳でもなく、適度に耽美的である。
知的興奮も諧謔味も得られない上滑りの作品
★★★☆☆
私は「スミヤキストQの冒険」を筆頭として発揮される"文学的冒険心と遊び心"、「大人のための残酷童話」に代表される"冷徹な悪意(イチビリ)"を持つ倉橋氏の理知的作品を愛好する者で、代表作の一つとされる本作も期待して読んだのだが、未成熟な出来に失望させられた。
16〜22才の少女から大人の女に変って行く女性の無邪気な残酷さ・気紛れを描く事に新鮮味があるのだろうか ? 加えて事故で過去の記憶を喪失させて無垢な状態に置く事が。狂言回し役の露悪的な青年も類型的で、便宜的に使われ過ぎている。また、意識しての上だろうが、人物配置と共に文体が人工的に過ぎる。無理遣り捻り出した比喩の人工感が特に酷い。特定強調語句に右線が引いてあるのも悪趣味。そんな小細工をせずに、語意の差異・強調を表現するのが作家の手腕だろう。作者自身が「作家」として作中に登場するのも奇異。しかも、その「作家」が作中の事象を解題するとは。更に、全体のモチーフはサガンの影響が感じられるし、両性具有・黒魔術・サディズムを初めとする性的倒錯等の嗜好は明らかに澁澤龍彦氏の影響が見られる。規制された社会や実存主義・教条主義・学生運動に対する風刺も凡庸。「聖=悪魔=世界を包む物」と言うのが主題なら、単なるキリスト教的二元論である。オリジナリティと言う意味で、作者が本作を書いた意図が読む者に全く伝わって来ない。「パルタイ」のヒロインを無垢化して、サガンと澁澤氏の味付けを加えて長編化しただけの印象を受ける。
常の如く"抽象論理"で組み立てられた作品なのだが、中期以降の作品では冒頭で述べた通り、それが"文学的冒険心と遊び心"や"冷徹な悪意"を産み出していた筈だ。本作では単なる上滑りに終っている。私が倉橋作品に求める知的興奮や諧謔味は得られなかった。
稚拙な私ですが
★★★★★
他の方のように上手い言葉での表現が見つかりませんが・・・
ただ純粋に倉橋由美子氏の作品が「大好き」です。
この「聖少女」は、私に強くそう思わせてくれた作品でした。
10代だった私にはひどく衝撃的な作品で。
この作品から氏の作品に没頭していき、当時廃盤になってしまっていた作品も含め古書屋・図書館で読み漁ったものです。
浮世離れした物事・・・禁断・禁忌、そんな物事を含め、幻惑的に描かれる氏の作品はとても魅力的です。
当然この作品も近親相姦という禁断の物事を扱っており、物語であるからこそそれがひどく魅力的に感じられました。
氏が亡くなられ、この作品も含め過去の作品も新装版で多数出ている事でしょう。
氏の新たな作品を拝読できない事はとても残念ですが・・・かつて読み漁った作品を新たに手にして、再び氏の世界に浸りたいです。
魔球を投げ込まれたような感覚。
★★★★★
物語の内容に不案内のまま読み始めました。近親相姦というタブーを大胆に描いていることに驚きながらも、推理小説のように解けぬ疑問に導かれ先へ先へと呼び込まれるようにページをめくっていきました。安保闘争の話が含まれていますので、その当時にあって、よくこれほどまでと思いました。そして、この作品が、そういった性の問題を扱いながらも、万華鏡のようなレトリックによって、精神性の高い物語に昇華させている著者の筆力にも圧倒される思いです。まるでバッターボックスに立っていると、魔球が投げ込まれてきたような感覚です。その魔球というのも、白いボールが緑や黄色や赤に変化するような、そんなハイカラーな魔球のような小説です。
金字塔的作品です
★★★★★
わたしにとって金字塔的作品です。
「聖少女」では、未紀という少女だけが名前を持っている。
倉橋由美子の小説で特徴的なのは主な登場人物が記号で呼ばれることだ。
一人称で語る「ぼく」はKという記号を持っている。 Kの姉はL、未紀の女友達はM、「作家」の夫はSと顕されている。
もちろん、これは名前の頭文字ではなくてその人格を象徴的にあらわして分類する、識別子です。
選民と賤民の識別子、象牙細工と粘土細工のちがい、とるに足るものかそうでないのか。
カフカにもありましたよね、というかカフカの実験を引き継いでいる。
どこをどうみても粘土細工そのものだった十代の私は、
賤民が木陰にこっそりと隠れて貴族の雅な世界をのぞき見るような、心地よいマゾヒスティックを感じていました。
解説の桜庭一樹によれば、未紀は桜庭一樹(念のため・・・女性です)の母親と同世代で、今や65歳になっているのだという。
いつの時代でも、若い人たちは他の世代を人間として認めない。
自分の世代だけがカラフルに彩られて、そこからはみ出た人間はユラユラと揺らめくのっぺらぼうな濃淡の影として存在しているだけなのですが、
その中に「聖少女」の未紀も静かに紛れ込んでいるのだと想像すると、心強い気持ちに満たされました。