破天荒な冒険心に富んだ文学史上の傑作
★★★★★
倉橋氏の長編としての代表作。「文学者としての冒険」と言う形容が相応しく、寓話的物語の中に作者の挑戦魂が秘められている。
主人公はスミヤキ党員のQで、Qがある島の感化院に派遣される所から物語が始まる。スミヤキ党は、唯物論派で無神論者。階級闘争(革命)派で合理主義を標榜するが、教条主義的傾向がある。感化院の正体は不明で、院長を初め、主事や同僚の練師(通常で言う教官か)等、主人公を取り巻く連中は得体の知れない者ばかり。主人公の名前の付け方と言い、カフカ的寓話を想起させる。彼等の奇矯な言動はQを戸惑わせ、Qの常識を翻弄する。そこには、科学万能主義、唯物論を初めとする各種の固定観念を嘲笑する作者の姿がある。思想に縛られる人間心理の愚かさ、滑稽さを皮肉に綴る倉橋氏の真骨頂だろう。特に、院長夫人の形容はまるでブラック・ホールのようで、哄笑を誘う。しかし、本作の真の意図は作中の"文学者"が解題する通り"無意味な世界"(反小説)を提供する事にある。作者は様々な記号的素材を提供するだけで、物語の創り手は読者なのだ。まさに文学的冒険。私のように思想性に拘るも良し、Qの性的嗜好を嗤うも良し、オウムを想起するも良し、閉じられた空間での人間関係の虚構性に着目するも良し、レクター博士の姿を思い浮かべるも良し。何しろ、時代も国も個人の名前も不明な「プロトタイプ小説」なのだから。看護婦のサビヤとQの恋人ピンギヤを初めとする院児達だけに名前が与えられているのは、彼女達だけに実存性があると言う事か。また、最後に"文学者"の名前がブッカと明かされるのは「"文学者"=作者」と言う意味か。そして、最後に待っているQにとっては皮肉過ぎる結末...。
卓越した手法で、作品に読者を巻き込む破天荒な冒険心に富んだ文学史上の傑作。