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パルタイ (新潮文庫)

価格: ¥420
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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素晴らしい。 ★★★★★
倉橋由美子氏は『パルタイ』をきっかけに華々しい文壇デビューを果たしたのだが、私はそれ程にこの作品には感動を覚えなかった。というよりか、自分やその他の人間に対する憎悪、嫌悪、羞恥の念に憑かれているようにしか思えないので、ただただ倉橋氏の長々しい皮肉たっぷりの愚痴を聞いているような気がしてならないのだ。だから、はっきり云って単調過ぎるし、詰まらない。しかし、この書に収められている他作品には鳥肌の立つような感激を覚えた。倉橋氏の巧みなる比喩や曲解に魅了され勃起してしまったのだ。特に『密告』を読み、目眩く背徳的な反世界への憧憬で脳裏が埋まってしまい、自我と他我の無化を望まずにはいられなくなってしまう。そして、天邪鬼に身体を支配されたかのような感覚が襲ってくるのだ。今、私は倉橋氏の世界観に心を奪われ、酔っている。
倉橋由美子とは何者なのか ★★★★★
倉橋由美子さんの、美学が、この小説によって始まる。
この小説を読むと、倉橋さんの全て、どんな断片的な
文章でも全て拾い集めて読みたくなる。
倉橋由美子中毒に至る、入門書である。
倉橋由美子の毒想、ここに始まる。
集団主義や観念論に対する作者の理知が光る ★★★★☆
倉橋氏の文壇デビュー作「パルタイ」を含む所期の短編集。倉橋氏の原点を振り返るのに好適な作品。

「パルタイ」は在学中に発表され、世間の耳目を集めたもの。学生運動の愚かしさ・硬直性・滑稽さを戯画化して描いたものだが、ヒロインの"わたし"の具体的行動を追いながら、その世界は抽象論理で構築されていると言う才能の煌きが感じられる。だが、人工的色彩が強過ぎて、若書きの感は否めない。「非人」は作者が言う所の「K-L」型の作品で、安部公房氏の作風を思わせる。集団社会における階級差別の不条理さを寓話的に描いた作品で、意識的に用いている糞尿や悪臭の木目細かな描写と寓意性とのギャップで、作品の印象を強めている。「パルタイ」に比べると格段の進歩。「貝のなか」とは主人公が通う歯科大の女子寮の四人部屋の事。主人公の次の言葉が全てを物語っている。「わたしが<貝>のなかで他人にかんじるのは腐食性の毒念であり、殺意以外のなにものでもない。濃密な存在の容器のなかで抽象的なものを固持することにわたしは違和感をおぼえる」。作者自身の想いでもあろう。<貝>とは主人公の彼が属する革命党でもあり、社会そのものとも言える。「蛇」は主人公が大蛇を飲み込んでしまう事から始まる騒動を描いた「K-L」型の作品。相変わらず、教条主義や観念論に対する風刺が効いているが、気軽に読んでも楽しめる。男性器の象徴である蛇を男の口に入れる事に、作者はどのような意味を見い出しているのか興味が湧く。「告白」はジュネ風の作品で、舞台はギリシャであろうか、青い空の下、少年の性的倒錯や嗜虐性を中心に"永遠の時"を描こうとしたもの。

「革命党」、「便所」、「寮生」、「掻爬」等の言葉が再三出て来る。"人間の動物化"も同様。その中で作者自身の理知は不惑と言う意か。読み応えのある傑作短編集。
実存は本質に先立つ ★★★★★
 パルタイ(=共産党)員である「あなた」は,入党希望者である「わたし」に対して,できるだけ克明に過去を拾い上げて,入党する動機(必然性)を明らかにするよう求める。これに対して,「わたし」は,「わたしはパルタイを選び,パルタイによってわたしの自由を縛ろうと決意した。ここにはなんの理由づけもなく,なんらかの因果関係がわたしの決意をみちびきだしたのでもない。」(12頁)と反論する。
 確かに,歴史的必然性を大上段に掲げるマルクス主義に対する,個人の主体的な選択こそ重視されるべきであるとの実存主義サイドからの異議申し立て,という図式的なテーマが鼻につく。
 しかし,ここで描かれた「わたし」の心の動きは,ある組織に身を投じ,あるいはそこから離脱しようとするときの青年の決意という意味では,おそらく,普遍的なものなのではなかろうか? 本作が発表された1960年から何十年も経っているにもかかわらず,ある種の新鮮さは失われていないように思われる。24頁と短いので,若い人には是非一読してもらいたい作品である。
無題。 ★★★☆☆
この書籍を薦められ、読ませていただいた。
表題作「パルタイ」は、作者がまだ若かったせいか幼く、読み手としては作者の哲学と観念を見せられているような気がし、小説としては味気がない。

しかし、「貝の中」、「蛇」の小説は、まことに読み応えがあり、むしろ「蛇」などは、表題作よりも優れ、安保時代の象徴的な小説で、私などの安保の頃など知らない世代でも、作者の時代への反感や違和感などが伝わってくる。

残念だったのは「密告」だった。この作品が収録してないければ、まちがいなく損をしない書籍になるはずだった。これは、ジャン・ジュネ作品に影響を受けているらしいが、「密告」に登場する人物たちは「ノ-トルダムの鐘」、「泥棒日記」の登場人物そのものであり、完結したそれらの物語をだらだらと描いたどうしようもない二次作品である。

比喩の仕方、表現も、ジュネそのものの「密告」は、ジュネ文学を気取る駄作だった。