ユングはあくまで心理学者であって、彼が最後までこだわったのは「科学者として話をする」というスタンスでした。易経の話をしているときだって、そうですよ。
だから、この本のなかに出てくる膨大な錬金術の文献とコメントも、すべて、現在を生きる現実の人間の、心理を解き明かすために引っ張ってきているものなんです。つまり、錬金術じゃ~~なくて深層心理の話です、あくまで。
ユングの学問というものは、あくまで現在を生きている人間が、よりよい生を模索するためにあるのですよ。
わたしは学生のとき、オカルトかぶれの友人からこれを薦められて、嫌々ながら読んだのですが、その内容のマトモさに驚いた覚えがあります。
そして、こんなマトモな本を、オカルト文献として読んでいた友人の~~知性の低さに唖然としたものですよ。
ところが、それからウン十年のあいだ、かなりアタマの良さそうなひとたちが、これをオカルト文献として評価しているのをたくさん見せられて、うんざりしているんです。
やっぱりある種のひとたちは、魔法の話とかが好きなんでしょうね。『ハリーポッター』が売れるようにね。
というわけで、わたしはこの本を、空疎~~な錬金術の教義などに関心のない、現実の自分の人生をなんとかしたいと思っている真面目なひとたちに強く薦めたい!
とくに本書の冒頭の、序論の部分などは、宗教と人間の関係にたいする、現在でもかなり有用な洞察が述べられていて、すごいものですよ。わたしは青年のときこれを読んで、世界中のひとがこの序論を読めば、ヘンな新興宗教にだまされるひと~~や、ヘンな企業精神・社会通念に洗脳されるようなひとはいなくなるんじゃないか、みんなもっと幸せになれるんじゃないか、と思ったほどでした(安易な幻想に終わりましたが・笑)。~
ユングは、自らの精神を探訪するということが、少なくとも数百年以上遡る過去においてもなされていたと考え、それが自らの心理学研究の先駆であるととらえ、このような書物を著したのであろう。
最近ではハリー・ポッターで有名になった「賢者の石」であるが、これが錬金術師が求めた最高の価値であり、同時に最低の存在(プリマ・マテリア)であるということである。
最高の物は、同時に最低であるということ。両極が一つに結合するということ。善悪の彼岸に至るということ。
また作中、「錬金術の樹」として描かれている図が、ユダヤ系密教のカバラに近似するという彼の考えが表れ始めるなど、この作品は後の「結合の神秘」「アイオーン」への前触れであるといえる。