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波乱の時代(上)

価格: ¥2,100
カテゴリ: ハードカバー
ブランド: 日本経済新聞出版社
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金利調整は魔術にあらず 〜まだ謎多き現代の経済 ★★★★★
 新保守主義、ネオコンサーバティズムと言えば、レーガン・ブッシュの時代、独りにするならレーガン時代を象徴する呼び名ということになるだろう。これに対して、経済でクリントン時代を挟んで二十年間責任者にあった保守主義者が居る。本著者グリーンスパンその人だ。
 まずグリーンスパンで有名になったのは、小幅な金利調整、それも先手先手のそれである。ところが、本書にはその手法が徐々に効力を失した、と書かれてある!特に、株式市場の上昇を金利を小幅に上げて調整することが最終的にはできなくなったと書かれてあるのだ。独立かつ中立である中央銀行の模範として見なされていたものが、実はそれほど定式化できるようなものではない、あくまで、この時代のこの米国の、そして現実政治に対してグリーンスパンという個性にしてできた特別な手法だったということになる。
 次に、実はこの連銀の無能力によって米国の財政赤字がクリントン時代の最終的な段階で解消されてしまい、あろうことか膨大な財政黒字を発生させたのである。このどきまぎさせられるような事態を、彼は教訓的に「財政黒字の継続は財政赤字の継続とあまり変わらないほど、経済の安定性の損なう要因になり得る」と記述している。
 話はまだ終わらない。子ブッシュの時代になり、これもまた意図せずに財政黒字は真っ逆さまにもっと酷い財政赤字を現出させるからだ。上巻はここで終わる。百年デフレの時代に突入したと言われる時に、まだインフレ懸念は拭われていない、という態度を譲っていないかのようだ。金利調整の幅は狭まり外堀が埋められた形でデフレ脱却はできなくなりかけているのに、まだインフレでないだけマシといった感じなのは私には少し驚きだった。

 しかし、謎と言うか難題はまだ残されている。上巻が議長の半生とその時代の貴重な記録だとしたら、下巻はこれからを展望した現代経済論、現代世界論になるだろう。新保守主義、これからの二十年といったところだ。
世界恐慌を引き起こし張本人の思想的欠陥を知る上で貴重な書物 ★★☆☆☆
その後の経済破綻とこれからの「長期恐慌」を導いた張本人の思想、自叙伝を兼ねた名著?彼の「市場のことは市場に」、という言わば無責任かつ無計画ともとれる哲学があろうことかその(東の)wife の影響と聞けば、現在失業中の800万人は何を思うことか。。。New York でスイングしていた頃は罪がなかったが,,,今となっては無責任の極みといわれてもしかたあるまい。どうして、日本のバブルを研究しておきながら、どうして過去幾たびもの恐慌から学ばなかったのか、、、まさかインフレの行き着く先を知らなかった訳でもあるまいに、、、インチキデリバティブを見抜けなかった筈もない立場にあった人物が、、、どうして、バブルを極限まで放置したのか(正確には導いたのか)、、、所詮は金融街の手先だったのか(事実未曾有の利益をもたらした)、、、自分だけ資産を積み上げた逃げ切ったかどうかまでは書かれていないが、世界中を混迷に陥れ米国を集金マシーンの頂点に導いた男、その思想的な欠陥を知る手がかりが随所に見て取れる、、、同時代人として彼と米国資本主義の天国と地獄を差し引いて余りある書であることは間違いない。
創造的破壊 ★★★★★
「金融の神様」「マエストロ」
アラン・グリーンスパン(Alan Greenspan)
『波乱の時代〜わが半生とFRB〜(上)』。
若い時サックスプレーヤーとして活躍し、
ニクソン、フォード、カーター、レーガン、ブッシュ、
クリントン、そして息子ブッシュ大統領…7人の大統領と関わり、
FRB議長を18年間務めたグリーンスパンの自伝。

FRB(Federal Reserve Board)議長の役目とは何か?
果たすべき役割は、物価安定。
「パーティが盛り上がってきたまさにそのときに、
パンチ・ボウルを片付けるように命じるのがFRBの役目だ」

「根拠なき熱狂(irrational exuberance)」
バブルが起こるのを防ぐことは出来ない…

日本について、少子高齢化を危惧し
「出生率が予想外に上昇するか文化の衝突を覚悟して
大量の移民を受け入れないかぎり、世界と東アジアのGDPに
占める比率が低下するとともに、日本の国際的な地位が
低下していく可能性が高い」と評しています。

グリーンスパンが重視するものは、「創造的破壊」を生み出す自由市場と
民主主義(基本的な権利と財産権の保護)。
財政基盤のない政府支出の拡大や市場を歪める規制を嫌います。
(サブプライムローン問題後、自由主義理論に欠陥があることを吐露)

『創造的破壊』。

彼は、ゴルバチョフ時代のソ連を訪問した時に、
1920年代のトラクターが作業をしているのを見て、
『創造的破壊』を起こさないような
中央計画経済(社会主義)はダメだと思ったと語っています。

『創造的破壊』とは…
古い技術を捨て続けることで、新しい価値あるものを生み出し
市場の活力を維持するメカニズムのこと。

「ベネツィアは『創造的破壊』の反対の極なのだ。過去を維持し、
楽しむための場所であって、未来を創造する場所ではない。
だが、まさにその点が重要なのだ。ベネツィアは安定と永遠、
美とロマンスに対する根深い欲求を満たしている。
ベネツィアに人気があるのは、人間性の矛盾のうち、
一方の極を代表するものだからだ。人間は物質的に豊かになりたい
と望む一方で、変化とそれに伴うストレスを避けたいと望んでいるのである」

そして最後に、何人もの大統領と渡り合った
彼のアメリカ政治についての見解。
我が国にも当てはまる、とても興味深い内容でした。
以下はほぼ原文のままです。
ちなみにグリーンスパンは共和党支持者です。

共和党ディック・アーミーの論文「革命の終わり」
「当初、われわれにとって主要な問いは、
「政府をどのように改革して資金と権力を国民に返すのか」であった。
やがて、改革の推進者と「94年精神(共和党の圧勝)」は
ほぼ、視野の狭い官僚的政治家に入れ代わった。
こうした政治家にとっての問題は、
「政治権力をどのようにして維持するか」になった。
2006年に議会多数派の共和党が道を踏み外し、
スキャンダルをつぎつぎに起こしたのは、その直接の結果である。」

アーミーの主張はまったく正しい。議会共和党は道を失った。
原則を捨てて権力を得ようとした。
そして、どちらも失う結果になったのである。共和党の敗北は当然であった。

党派争いで引き裂かれ、政府が機能不全に陥っているワシントンで、
遠い過去の超党派の友情を象徴する政治家、フォード大統領。
礼儀正しい政治、はるか昔に失われてしまった政治への国民の渇望だった。
過去の意味 ★★★★★
Economic historyである。経済大国アメリカを眺めれば、市場経済の尻尾や山積した課題が見えてくる
前FRB議長グリーンスパン氏が、当時、何を考えていたのか方向性や背景を知りたくて読んだ
オバマ政権に変わり、現FRB議長バーナンキ氏がどのような打開策を立てているか背景を推測しつつ比較対象し読んでいる
ブラックマンデーや日本のバブル崩壊、有事における経済動向、消費者動向を考える時
実際に何がどのように動き、影響を与え、変化したのかがわかる
当時は、憶測も飛んでいたが渦中では何を考えどのような対策を打ち出し、評価は?と続く
色々な視点で眺めることができ、そうだったのかと胸に落ちるも多々あり
時代背景や社会経済事情を含め、表現もわかりやすく読みやすい
お勧めします
経済に対する姿勢と共にその人柄を知ることも出来る ★★★★★
 幼少期の描写を少なく留め、おそらくは多くの読者が望むであろう、民間エコノミスト時代、FRB議長時代の経済情勢と、それに対して下した判断とその思考過程に関する記述が多くを占めており、好感が持てる。特に、著者が関係した歴代政権の経済政策決定プロセスに関する記述は、経済面だけではなく政治面についても様々な示唆を与えてくれ、読んでいて楽しい。

 本作を読むと、アメリカの共和党と民主党の党員が、大学教授などの本業をこなしながらも政党活動に関わり、その結果として政権運営に携わっていることが分かる。この仕組みの中で、優秀な経済学者などの人材はそれぞれの政党にプールされ、政権を支えるメンバーとなる。これは、政党側にもメリットがあるし、経済学者にもメリットがある。
 経済学は物理学などと違って、実験室で理論を検証することが余り出来ない。小規模な対照実験により検証できる部分もあるが、金利・マネーサプライと景気の関係など、社会を犠牲にしてしか検証できない部分もある。しかし政権中枢にいれば、自分の経済理論を実地で検証する機会に恵まれることになる。失敗すれば批判を浴び二度と立ち直れなくなるかもしれないが、成功すれば賞賛の声と、もしかすると何がしかの実益を得られるかも知れない。
 一方、日本では、政権内部に著名な経済学者が入ることは、余り無い気がする。これは、学者が政治に関わることを禁忌とみなす風習があるのかもしれないし、自分の理論が明確に否定されることを避けたいと思っているせいかも知れない。たいてい彼らは政権外部から批評のみを行い、自分の手で経済を動かそうとはあまり思わないようだ。このような姿勢では、他にも理由はあるかも知れないが、日本人がノーベル経済学賞を取ることは難しいだろう。
(最近では竹中平蔵氏がこの例外だったが、構造改革の否定という一語の下に、その価値が全て切り捨てられる傾向にある。これは政治への学者の取り込みを目指す際にはマイナス要因になるだろう。)

 回顧録なので、若干自身の表現が美化される傾向にあることは差し引いて見るべきかもしれないが、色々と考えさせられるところの多い作品だと思う。