今、このように構成員が壊れてしまっている家族は少なくありません。高齢化社会、弱肉強食の新自由主義に基づく社会が進むにつれ、このように「人生の敗者」になってしまっている成員を抱えた家族はますます増加してゆくと思われます。
この小説は「私小説」なのでしょうか? たぶん、作者自身が置かれたプライベートな状況に極めて近いのでしょう。しかし、少なくともむしろ作者一流のユーモラスな筆致によって、その絶望的な状況は緩和されているようにみえます。
しかし、それはあくまでも見かけです。このユーモアはどこから来るのでしょうか? 開き直りなのでしょうか? それとも生への信頼なのでしょうか? たしかに、このような救いようのない状況に対抗するのはこの「ユーモア」しかないのかもしれません。しかしわたくしはそれが極めて無気味に見えます。現実が、そのユーモアの向こうに隠蔽されたようにみえる分、かえって「救いようのなさ」が強調されているように見えるからです。
ということで、個人的にはあまり好きなタイプの小説ではありません。しかし、好悪を理由にこの名作を推さないのは不公平というものでしょう。
家族の再建を図ろうとした男が建てた家からは雨漏りがしはじめ、それを設計した建築家は、それは誰のせいでもないのだ、といってくる。人間ができることは、ただその残酷なまでの人生を耐える、ということにしか、どうやらないようだ。では、それをどう耐えるのか。その自己意識の方法に、ひとりの男が全力をかける。
小島信夫という作家は、読者を選ぶ、といういいかたがよくされます。好きな人にはたまらないのだけれども、ダメな人にはさっぱり、というふうに。
この小説は傑作『抱擁家族』の続編です。八〇歳を過ぎた最高年齢での新聞連載小説ということで、恐ろしくも悲しく、痛々しく、そしてとても感動的な物語です。
日本にもこんな凄い作家がいるのだ、と。僕は、小島信夫こそが戦後最大の小説家である、と勝手に断言してしまいます。