「山河」破れて漂う日本人
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敗戦による「天子様」の失墜や「国家」の解体、そしてアメリカによる占領によっても、日本人の自己同一性は喪失しなかった。この時期の日本人の内面の危機を救ったのは、「国破れて山河あり」の「自然」であった。だが、1960年代の高度経済成長政策により「自然」が崩壊したとき、日本人の内面に真の危機が訪れた。経済成長を至上命令とした国家方針と、そのことから不可避的に生じる自然破壊。生存維持のためには経済成長を求めなければならず、自己回復のためには経済成長の後退を求めなければならないというジレンマの中で、日本人は経済成長を選んだ。それにより自然は崩壊したが、それは失われたのではなく、われわれ自身が殺戮したのである。このトラウマこそ60年代以降の日本人が抱え込んだ正体であり、今のわれわれが悩まされる寄る辺なさの源である。この状況が、庄野潤三『夕べの雲』、石牟礼道子『苦海浄土』、富岡多恵子『波うつ土地』などの作品で分析される。痛切な悲しみを以て同時代のわれわれに迫る評論である。