リンドバーグの敗北宣言
★☆☆☆☆
訳者(落合恵子)はあとがきで、吉田健一の名訳がありながら、敢えてこの書を訳したのは、70年代(正確には1975年)に、原著者のアン・モロウ・リンドバーグが付け加えた一章を読者に伝えたい思いからだと書いている。本書はまさにそのためにこそ存在すると言える。落合訳のこの部分は誤訳だらけという説得力ある指摘もあるが、ここは彼女の「読み」に従いたい。
ではリンドバーグは、このわざわざ追加した章で何を言わんとしているのだろうか。一言で言えば痛々しいほどの敗北宣言である。
リンドバーグは言う・・・20年前に書いた本を今開いて感じるのは、驚きと困惑である。それはフェミニストたちが切り開いた「大いなる勝利」と結びついている。現在、女たちはあらゆる活動で多大な影響力を示しているからだ。
彼女の家でも、子供たちが独立し、その後に本書で予想しなかった「決して居心地が良いとは言えない次なるステージ」が待っていた。一般的な専業主婦は「孤独な車輪の軸のように、そこにひとり取り残され」、再び人生の設計をひとりでしなければならない。自書から引用すれば「女はみずからの力で成長しなくてはならない。」・・・もう遅すぎる。
これが「女たちは家庭にいて(夫や子供たちに)与え続けなければならない」と本書で熱心に説いた彼女の結末記である。聡明な女たちは彼女が説くことの不毛さに気付き、家庭の外で行動を開始し、そして「勝利」したのだ。その反対に、彼女の言を守って家庭に留まった従順な女たちは、今孤独にさいなまれ人生のやり直しに迫られている。だがリンドバーグ自身は、家庭の外で仕事を持っており、子供たちが離れた後の空虚な「空間と時間を埋めるために悩むことはなかった。」とぬけぬけとのたまう。
落合は本書がリンドバーグが意図したような「拓かれた女の書」として認知されてこなかったと嘆いているが、当然だろう。本書がアメリカで書かれた1955年には、「女は女として生まれない、女になるのだ」と説く、ボーボワールの『第2の性』(1949年)が評判となり、ウーマンリブが萌芽を見せていた。そんな時に敢えて、女性性は神の恩寵によるものとし、言葉巧みに女性を家庭に押し込めようとする彼女の逆向きの主張が、「幽閉状況」に息苦しさを感じている女たちに受けいれられるわけがないではないか。
リンドバーグは、それならなぜ本書が「いまもなお新しい世代の女たちによって読み継がれているのだろうか」と開き直るが、それは本書の骨格にたどり着く前に、表層に散りばめられている「人生は孤独だ」と言った類の陳腐なものいいに涙腺を弛ませてしまうナイーブな女性(に限らず男性も)が大勢いるからである。
リンドバーグ自身も認めるように、今の女性は彼女の時代よりはるかに自由であるが、これは彼女の教えを守らず、あえて「女のいるべきとされた台所や子供部屋や・・・から」公の場に進出していった女の働きに負うものであることを本書の読者は肝に銘ずるべきである。
翻訳が劣悪
★☆☆☆☆
原著の英文と照らし合わせながら読み通してわかったが、英文読解力の低さによる誤訳も非常に多いし、意図的に書き換えられたとしか言えない原文と違うおかしな表現も多い。
全体として、訳者である落合恵子のフェミニズムが露骨に影響した質の悪い翻訳になっている。
著者が後年書き加え、訳者が日本の読者に紹介したかったという最後の章の翻訳に到ってはもう間違いだらけで、これではわざわざ新訳を出した意味が無い。
著者名をリンドバーグ夫人からアン・モロウ・リンドバーグに正したところで、原文を蔑ろにして自分の好き勝手に訳文を創作していては駄目だろう。
落合ファンには不愉快な指摘だろうが、原著と原著者に対して不実なこのような本がいまだに罷り通っているのは良くないと思う。
アン・モロウ・リンドバーグの原文を恣意的に歪曲したおかしな訳文を改めて欲しい。
女性であることを実感しました
★★★★★
ある新聞の図書推薦欄に「女性に生まれてよかった」というタイトルで紹介されていました。落合恵子さんの翻訳本は好きなので、こちらを選びました。非日常的な場面設定の中で、日常について思いを馳せる著者の回想、発見、展望…。女性ならではの感性で、また著者独特の視点で、自身や男性や世界を見つめた眼差しが印象的です。読みながら共感したり開眼させられたりで、大変ステキで粋な内容でした。女性であることや自分の感じ方について、「これでいいんだ!」という安心感と納得を与えてもらえる本でもありました。
海からの贈りもの
★★★☆☆
多くの人から絶賛されている本だけど良さが分からなかった。
数年後にまた読んでみたい。
人生が変わった本
★★★★★
「涵養」
本書にはこの言葉を贈りたいです。精神面での豊かさとはどういうことなのか、
考え・育てるきっかけを与えてくれました。
-しかしわたしは何よりもまず、わたし自身とひとつでありたい-
-私たちは結局、みな孤独である。ひとりでいるということを、もう一度はじめから学びなおさなければならないー
新潮社からの文庫もありますが、
こちらの訳の方が女性らしさがうまく表れていてわたし好みです。