「資本主義」ではなく、「至上主義」かと・・・
★★☆☆☆
ジャンプの名作漫画(ここでは主に男一匹ガキ大将→アストロ球団→ドラゴンボール→
ONE PIECE、その他リングにかけろや北斗の拳等も有る)のあらすじ本&後世に伝える本
もしくは漫画を通じて資本主義の仕組みを説く本・・・としてなら、星3つでも良いでしょう。
「資本主義」となっていますが、実際は「至上主義」=著者にとってはジャンプが一番!
という点に尽きる一冊でした・・・
ジャンプの三大原則「友情」「勝利」「努力」が、漫画を通じて当時の子供たちに資本
主義を啓蒙していた・・・は、やはりどう考えても無理があります(それを証明するなら
ブンガク的(原文ママ)と評価したマガジンや、ラブコメ鉱脈を見つけたサンデーに
編集者の個性で、一時は頂点に立ったチャンピョンとの差を明確にすべき)。
実際、読み進めて見ると半分以上はあらすじなのです。残りの部分で資本主義の要素と
漫画の一部分を結びつける、資本主義(更には思想もある)とは云々ですという説明・・・
という作り。
確かに、大きなもの(野望)を求めていた『男一匹ガキ大将』の時代から、『ドラゴン
ボール』では願いが小さなもの(個)に変わり、『ONE PIECE』に至っては更にそれが突き
進められている(同じ船に乗っていても、目的はバラバラ。『ガキ大将』の主人公を自分達の
代表として世の中に送り出す、という統一された目的とは彼岸の差がある)という論考は
価値観の変遷として見るべきところが有るとは思いますが、それは既に他のところでも
言われている話ですし、何より資本主義(特に読者に啓蒙したという部分)とは関係が無い。
漫画が結果的にそれを描いた、というのはあるかもしれませんが・・・本当にそうだと
いうので有れば、各漫画の作者にインタビューしてみれば良いのです。
「資本主義を説いていたのですか」「資本主義の功罪を描いたのですか」と。皆さん
まだ存命し、第一線で活躍されている方々です。本当に自説を主張するつもりなら、そこ
まですべきだと読書中、ずっと考えていた私です。
ほんとかね?
★★★★☆
資本主義社会が求める要素が「友情」、「努力」、「勝利」。
だから、その三つの言葉をテーマにした少年ジャンプが売れたんだという
主張には、「ほんとですか?」と聞き返したくなりました。
ゲバラにとってもダルタニャンにとっても「友情」、「努力」、「勝利」は
不可欠だったわけで、その三つが求められる社会というのは、
資本主義社会に限ったことではなく、近代社会全般なのでは?
まあ、それはどうでもいいですね。
この本は少年ジャンプの過去の名作を懐かしみつつ読むべき本でしょう。
読みながら、何度も私の精神を形成したのは少年ジャンプと言って
過言ではないと思わされました。
マンガを通した自己発見
★★★★★
筆者の作品を読むのは「実践IR」、「ぼくらの経済民主主義」に続いて個人的には3作目となるが、経済史や経済思想史に詳しい筆者ならではの鋭い洞察が少年ジャンプという大衆的な対象と融合しており、非常に親しみ易く且つ読み易いものに仕上がったという印象を持った。創刊より読者アンケートによる作品セレクションを実践する少年ジャンプを、民意を示す鏡、民主主義の産物として位置付け、1970年代から現在に至る日本における資本主義の変遷とそれに伴う各年代の社会構造、そして当該構造に大きく影響を受ける我々日本人の思想の方向性を少年ジャンプの代表作を通じて概観して行くその筆致は読者を非常に惹きつけるものである。
また、「友情」「努力」「勝利」という普遍的に子供に求められる素養を理念とする少年ジャンプの精神を初めて知ったが、マンガの位置付けを単なる娯楽としてだけでなく、教育的、更に言えば自己発見を行うツールとして見做すことも可能だと筆者は伝えたいのではないかと感じた。筆者の挙げる代表作『男一匹ガキ大将』『アストロ球団』『ONE PIECE』には成程、各時代における日本人の精神、思想の方向性が反映されていることに気付かされるが、更に言えば時代時代におけるそのような民衆の思想の方向性と言う大きな皿に上に実は各個人の思念が乗っているのではないかとも感じさせられた。その意味では作品毎、更に作品の中のキャラクター毎に個々人の嗜好に多様性があることは自明であるが、特定の作品に惹かれる自分を筆者が指摘する大きな思想の皿に乗せることにより、自分の中に無意識にある思想の方向性や自分の望ましい姿などを発見することが出来るのではないかと思う。特に方向性が見出し難い2000年代(ゼロ年代)をグローバル化や「帝国化」が進展する年代とし、グローバル化された株式会社(競争社会と言い換えても良いかも知れない)により個人が疎外される、若しくは個人が社会に埋没するが故に、我々は友情を強く求めていることを見抜く洞察力には個人的に強い共鳴と感銘を覚えた。
筆者が紹介する少年ジャンプの各作品のあらすじも簡潔だが皆が覚えているような印象的なポイントをしっかりと押えており、資本主義など言う堅苦しいものではなく、少年ジャンプの代表作のあらすじ紹介を通して昔を懐かしむと言った軽い気持ちで是非、手にして欲しいと思う。少年ジャンプだけでなく、少年だった当時の日常の記憶が脳裏に甦って来ることでしょう。
時代と共にあるマンガと資本主義と
★★★★★
まだ、一章しか読んでないが、とりあえず思ったことを書こう。昔、子供の頃、弟が買ってきたマンガをむさぼり読んでいた。その中に少年ジャンプがあった。子供の頃は当時の時代を捉える術はなかった。朝になれば学校に通って毎日が過ぎていく、そんな感じだった。この本は少年ジャンプの歴史を当時の時代背景とリンクさせ、なおかつその中に資本主義というものがどういうものなのかをわかりやすく記していく。まだ読み始めたばかりだが、おそらく筆者は資本主義というものをどこか遠い世界のものとしてではなく、まさに我々が各々の夢を実現させていくシステムとして捉えることも可能だと言っているのではないか。そして、夢の実現は少年ジャンプが追及してきた友情・努力などというものによってより実現に近づいていくのだと言っているように思う。
二章を読んだ。70年代の少年ジャンプの中でも「アストロ球団」を取り上げて話は進んでいく。身体のどこかに同じボールのあざを持つ少年たちが集い野球チームを結成し、激しい戦いが続けられていく。この頃社会は企業という、いわば一つのチームとも言える中でひたすら競争に勝つことを強いられ、企業戦士がもてはやされた。マンガもまたそのような時代を映し出していたと言えよう。そういう意味では純粋にチームの一員として命をかけてでも戦う選手と、チームの一員になることを拒み続けた選手と、企業戦士の心の葛藤を反映していたと、今になって思えるが、子供の時はそこまでわからなかった。改めてなるほど、そうだったのかと思った。もう一つ、少年ジャンプが創刊当初から徹底したアンケート至上主義を取っていたことを知り、感動した。読者の視点に立ってマンガを作っていく、このことは民主主義にも相通じるのではないか、とても嬉しくなった。さて、次は第3章だ。バブル崩壊後の社会を反映して少年ジャンプは読者と共にどう生きてきたのか。
今、本を読み終えて思うことを書こう。バブル崩壊後のジャンプは自分も読んだことのある「北斗の拳」や「ドラゴンボール」等が読者の人気を集めて展開されていった。そして現在に続くまでのマンガの分析もあわせて思うこと、それは読者がマンガを通して、そこに自分の夢といったものを重ねながら生きる今、まさに生きている社会にどう対峙していくのか、読者一人ひとりの主体性が問われていると思う。その主体性を前提に連帯のあり方を探っていこうと筆者が提起しているように思われた。
それはマンガだけではなく、本や音楽やテレビや、あるいはもっともっと様々な物を媒介にして、さあ、次に問われているのは自分だ、君たちだと言っているように思えた。
少年ジャンプの思想史
★★★★★
タイトルから推測して例の「ジャンプ・システム」を経済学的に分析した本かと思ったが、その憶測はよい意味で裏切られた。戦後日本における資本主義の成熟、あるいは社会構造や思想の変遷を追いながら、少年ジャンプの時代ごとの代表作のストーリーと世界観、そしてその圧倒的な魅力について論じていくというのが、本書の主な内容である。『男一匹ガキ大将』『アストロ球団』『リングにかけろ』『キン肉マン』『キャプテン翼』『北斗の拳』『ドラゴンボール』『幽遊白書』『スラムダンク』『ジョジョの奇妙な冒険』『ONE PIECE』等々、「友情」「努力」「勝利」という理念を感動的に描ききったジャンプの「正統」に位置する作品たちが、そのうち特に「友情」に力点を置きながらあらすじ紹介される。
ジャンプ作品が描く「友情」は、村落共同体が崩壊した社会において共に強く生きていくための方法を読者に教示してくれた。高度経済成長期には『男一匹ガキ大将』が一つの目的に向かって一致団結する情熱を、バブル期には『ドラゴンボール』が無国籍化し仮想現実化する世界に適応した個人の軽妙な生き方を、グローバル化や「帝国」化が進展するゼロ年代には、『ONE PIECE』がそれぞれの個性を活かしながらそれぞれの夢の実現に向けて連帯することの大切さを、興奮するバトル・ストーリーと涙の出るような素敵なエピソードを通して教えてくれた。これが本書の主張の核心である。
全体的に、こなれた文章によるあらすじの紹介がとても巧みであり、読んでない作品は読んだような気に、読んだ作品は読んだ時の感動が蘇る、という楽しい読書ができた。ジャンプ作品の系譜を社会の変容と呼応させながら論じていく筆致も非常に説得的であり、なるほどと思わせる。エンタメ至上主義の少年マンガを、資本主義という視点から読み込んでいくスタンスは、人によっては大いに違和感を抱くかもしれないが、そういう部分を読み飛ばして作品論だけを参照しても本書は十分面白い。やや不満があったのは、ジャンプ史の中でも異彩を放ちつつしかしこれも代表作の一つだと思われる『デスノート』に対する言及が皆無なことであるが、あの非情の世界は著者の枠組みでは論じにくいだろうから仕方ないかとも考える。
いずれにせよ、ジャンプ・ファンによるジャンプ・ファンのための本、という性格が濃厚であるため、この戦後の日本文化が生んだ至宝のような雑誌に魅了されたことがある人には、是非一度は読んでほしい一冊である。