私がされたいこと、を、こどもにしよう。
★★★★☆
本書を購入した翌日、奈良で、高校生による自宅放火、親兄弟殺害事件が起きた。
未成年者が加害者、被害者になる事件はここ数年頻発している。こうした事件は、本人自身の資質、家庭環境、社会環境などさまざまな要因が複雑に絡み合った結果として生じるので、その度ごとに種々の対応策が講じられるものの、「心の闇」が支配する領域が年々大きくなってきているのが現状である。
自分自身を振り返ってみてもわかるのだが、中学から高校に至る時期は、良い意味でも悪い意味でもたいへん不安定である。ただ、自分が不安定でも家庭を含めた社会の変化がそれほど大きくなければ、換言すれば、余裕があるものであるならば、ゆったりとした流れに身を任せ、その中で自分自身を見つめなおすこともできる。
翻って、速さや正確さがかつてないほどに求められ、中高年の自殺も最高水準に達している現在、残念ながら社会自体が不安定な子供たちを包み込む余裕を持てなくなってしまっている。
教員出身である著者は、教育行政の改革に活路をみいだす。一方、私たち子を持つ親がすべきこと、それは、きちんとあいさつができる良い子にしつけることではない。一歩立ち止まり、子供に向かって「あなたが大切だ」というメッセージを発しつづけることなのである。
大人社会のゆがみを見つめる1冊
★★★★★
「子どもの危機をどう見るか」(岩波新書)の続編という位置づけです。子どもの変化、もちろん「激変」をどう見るかということですが、その子どもたちの環境を作ってきた大人の責任を痛感させられる1冊です。
特に、子どもをめぐる大きな事件を紹介していますが、その直後に、大人たちが何をしたのか。自殺した生徒の所属している部が、自殺翌日の通夜の日に、新入生歓迎演奏会を開催。事件があったあの塾では2日後には自習再開、3日後には本格的な講義の再開。あの長崎の学校では、事件翌日に全生徒が登校。大人社会のゆがみを感じざる得ません。
後段の「キャリア教育」等は、ちょっと難しく感じましたが、教師に必要な「市民性」については、共感できました。
子どもを嘆く前に、大人が読んでおきたい1冊です。
多くの人に知ってもらいたいことが満載
★★★★★
本書では,深刻化する思春期の危機の背景には,子どもたちを取り巻く環境の変化があるとしている.この中には,成果主義に追い込まれる教育現場,二極化が進む学力の現状,そして子どもを様々な活動の主体とする提案など,多くの人々に知ってもらいたい内容が多く記されている.ただ,危機にある思春期の直接的な背景について知りたい人にとって,すとんと腑に落ちるような答そのものが必ずしも得られないかもしれない.しかし,子どもたちと教育に関する現状と提案について,1つひとつうなづきながら読むことができると思う.