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グローバル・シティ―ニューヨーク・ロンドン・東京から世界を読む

価格: ¥5,775
カテゴリ: 単行本
ブランド: 筑摩書房
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都市計画において必読 ★★★★★
当著は、経済活動において形成されていった都市機能について、深く論じている。
第二次世界大戦後、ダメージが少なかったアメリカでは、個人投資家らの出資活動が盛んであり、それらが集積して総合金融業が同国の産業を牽引するようになった。そして、それは所有と経営を分離し、一般化し、やがては所有による利益さえもそれに特化した証券ビジネスとして成立するまでにいたった。即ち、利害関係者がそれだけ増え、その調整機能としての会計制度や裁判制度が、民間において拡充を果たした所為である。
従って、専門職における対価は上昇し、或いはそれが企業として独立し、そして統治機能を強力に担うこととなっていったようだ。その集約都市としてニューヨークがあるという。
翻って、日本の都市機能は戦後復興の中核として建設業や製造業が発達し、また、港湾を整備し貿易することで経済を活性化させてきた。
その集約産業としての京浜地区、或いは官僚が主導した計画的な経済でもあったため、東京が集約都市として代表的になっていったようだ。
また、日本において専門職があまり重要視されなかったのは、やはり行政と企業が密接な関係であったためだと考えることができるだろう。
一方、ロンドンは戦後において先勝国といえどもダメージは大きかった。ゆえに、アメリカのような国内の一般投資者が支えるには力不足であった。しかしながら、かつての大英帝国時代に築き上げた交易網を見直すことによって、金融業の国際化が実現されるにいたった。やがて、外資の力を利用した経済が盛んになり、その集約都市としてのロンドン、あるいはマンチェスターがある。外国の富豪がサッカーチームのオーナーになっていることは、それを象徴するだろう。
ニューヨーク、東京、ロンドン、それぞれにおいて都市機能の形成に関する示唆は十分に富む。
地方分権を標榜する方々には是非、参考に!
日本のバブル永続を想定した古い本。すでに理論は完全に破綻、今更翻訳する意義はあったのか? ★☆☆☆☆
 原著は日本のバブル絶頂期の本(を5年前くらいに改訂したもの)。古くても洞察の衰えない本はあるが、本書はバブルが永続することを前提に書かれており、その理論すべてが無残に崩壊。いまさらなぜ翻訳したのかまったく解せない。

 本書の主張は、いまや都市が新しい生産拠点だというもの。情報インフラの発達で、生産拠点と本社機能が分離できるようになった。このため、本社機能だけを集めた都市が成立し、それにサービスを提供する会計事務所や法律事務所、金融サービス等が都市に集積。そしてそれが新しい金融商品などの財を生産することで、自律的に発展。都市(のエリート)だけが自由に発達し、工場を押しつけられる途上国(と都市の下働き)はいつまでもたこ部屋状態で格差は広がる一方。もはや国は意味がなくなり、企業体がその格差の中で永続化するというのがその議論で、反グローバリズム的格差論に都合がいいこともあってもてはやされた。

 が、本書の初版が出ると同時に、日本のバブルが崩壊、都市の生産や自律的発展というお題目は一気に崩壊。国は関係ないはずなのになぜ日本のバブルが東京の発展を阻害したの? 国にはやっぱり重要な意味があるのだ。さらに工場が集中した東南アジア、中国、インドは、やがて管理機能も移り、所得もあがって消費も拡大、研究開発も移り、大発展をとげた。もちろんその国内では細かい格差が出ている。でも先進国の都市拠点vs途上国低賃金工場という構図が固定化するというのはまったくの見当違いで、その格差は縮まったことはいまや明らか。第二版や日本版序文ではそれを必死に取り繕おうとしてはいるが説得力なし。そして生産拠点だったはずの投資銀行も、サブプライム以降はもはや事業機会がなくなって次々に解体し、都市内格差もどうなるか怪しいところ。

 結局いまの世界で、上海も北京もバンコクもドバイもバンガロールも何も説明できないグローバルシティ論に、何か意味があるだろうか? そしてその問題点を自分で指摘できない著者&訳者は、営業的な配慮をさしひいても学者として(能力and/or誠実さの面で)問題ありでは?