子どもだけの本にしておくのはもったいない!!!
★★★★★
子供向けの短いおとぎ話がいくつもあるので飛ばし読みに最適!
たくさんあるのできっと自分だけのお気に入りの話が見つかるはず。
でもこの本を子どもだけのものにしておくには本当にもったいない気がします。
むしろ大人のために書かれた本、といってもけして大げさではないような気も個人的にします。
というのはひとつひとつの物語に機知とユーモアがあるんです!
そういったものを解せることができるのは大人の特権なのかなぁ〜って思ったり。
子どもと一緒に読んで、そういった解釈も含めながら楽しめる本です。
寝る前に読むとステキな夢が見られそう!!
珠玉という言葉がぴったりな年を重ねるたびに愛着が持てる夢のいっぱい詰まった
童話集です。
読む度に新たな発見がありそうな傑作童話集を老若男女すべての方にお奨めします。
★★★★★
20世紀に活躍したイタリアを代表する児童文学作家ロダーリの連作童話ショートショートの名作から56編を収録する傑作集です。原書には実に70編も収録されている本書は言葉の翻訳の都合で14編が割愛されていますが、ほんとうにボリューム満点で読み終えたらヴァラエティーに富んだフルコースの料理を味わったような満足感でお腹一杯になるでしょう。本書を読んで一番感心するのは、とにかく面白いお話がマシンガンのように立て続けに並べられていて豊かな発想には限界が無いように思える所と、物語の結末のオチにほとんど気が使われていない自然体の創作態度が却って新鮮な事です。これはやはりイタリアの大らかな国民性なのでしょうか、もし日本で発表されていたら間違いなく誰かから「もうちょっとひねったら、もっと良くなるんじゃないかな」などと余計な横槍が入りそうな気がします。物は考えようで、他に考えようの無い完成度の高い物語よりは、いろんな可能性を残した緩めの物語の方が子ども達の想像力を刺激して物語の先を考える楽しみを与えてくれますので良いのではないでしょうか。それにしても無尽蔵に思えるアイディアのオンパレードで、この本からなら何十冊と傑作絵本が生み出せると思います。『うっかり坊やの散歩』は元気な坊やが散歩の途中でぼうっとして手足を落としてしまうお話で、一瞬ドキリとして最後にホッと安心させるほのぼのとした読み心地です。『逃げる鼻』は鼻がご主人から逃げ出すお話で珍しく傑作なオチがついています。『アリーチェ・コロリーナ』は好奇心一杯の少女アリーチェが目覚まし時計やびんの中を覗き込んで中に落ちてしまう愉快な話で「海に落ちる」でも活躍します。他には偉大な旅行家ジョヴァンニーノが不思議な国を旅するシリーズも奇想天外で面白いです。きっと読む度に新たな発見がありそうな傑作童話集を老若男女すべての方に心からお奨めします。
とってもシュールなショートショート。
★★★★★
イタリアの子供たちは、
文字を覚えると、
まず、ロダーリのこの本を読むのだそうな。
へえ、そうなんだ、
と思いつつ、読んでみたら、
思った以上にシュールな話の連続。
はじめてロダーリを読んだのだけど、
思わず、にんまりせずにはいられなかった。
シュールな話を、シュールなまんま、
子供たちに、ぽーんと投げて渡してあげている、
そんな印象を持ちました。
子供は、その不可思議な話に、
自分なりに取り込んで、
想像をふくらませていくのでしょう。
幸福です。
★★★★☆
読んでいるあいだじゅう、口許がゆるんでいました。
たくさんの微笑ましい情景がやさしいことばで描かれていたからです。
体制を批判するのにも辛辣な表現はなされていません。
それなのに、いちいち頷くことのなんと多かったことか。
読み終えて、とても満たされた気持ちで本を置きました。
幸福です。ロダーリを知って。この本を読むことができて。
"Favole al telefono"というイタリア語の
CDが出ていることを検索してみて知りました。
わたしにはさっぱりわかりませんが、毎晩ひとつずつ聞いて眠ったら
ビアンキさんの娘になったような気分に浸れるかも知れませんね。
とにかく読む。
★★★★★
遊びに行った先に腕や足を忘れてくるうっかり坊や、時計や引き出しの中にコロリと入り込むコロリーナ嬢、とんがりのない国、宇宙ヒヨコ...。常人離れした想像力と言ってしまうのは簡単だが、突飛なだけのファンタジーなら読者はついていかないだろう。ウケ狙いの作り込みに鼻白み、本を閉じて終わりである。頭のかたくなった大人はもちろん、子供も嘘には鼻が利く。
ジャンニ・ロダーリは違う。本を開いている間、彼の描く絶対にありえない世界は私の中に歴然と「在る」。絶対に起こりえない出来事を、私はすんなりと受け止め、ニュースを聞くかのようなさりげなさでワクワクとその進展を追う。小学生のときに読んだロダーリの『チポリーノの冒険』は、数十年がたった今でも古本屋に出せない1冊だ。タマネギは喋らないが、ロダーリの手にかかると、タマネギが喋って当然な世界が開ける。この感覚は読んでみないとわからないだろう。
そこにどんな教訓が隠されているのか...などと頭を使う必要はないのだと思う。力で他をねじ伏せることを常に否定してきたロダーリだが、それを物語中で声高に語ったりはしない。読者はそれを「わかる」のではなく「感じる」のだ。とまれ、ロダーリを読んで、心と頭を心地よく揺さぶられたという経験は、消えない「何か」として読者の中に残るはずだ。そして、たとえ意識はせずとも、その「何か」をもらった人はきっと少しだけ他の人よりも愉しく生きていけるだろう。