情熱的で力強い人間ドラマ。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの人生最後の数カ月に一部史実に沿った『敬愛なるベートーヴェン』は、この巨匠が取り憑かれた男であり、最大に革新的であるのに本人は聴くこともでない生涯の集大成といえる作品を作曲していたことが描かれている。ベートーヴェンはほとんど耳が聞こえず、金遣いの荒い甥との関係に幻滅し、若い女性作曲家のアンナ・ホルツ(ダイアン・クルーガー)に心引かれる。アンナは曲を楽譜にする写譜師としてベートーヴェンの元で働くことになる。女子修道院に客人として滞在し、ぼんやりとした技師と婚約しているアンナは、ベートーヴェンの感情の起伏の激しい天才ぶりに引きつけられる。半分の時間で、ベートーヴェンはアンナに引かれ、彼女の魂をまっすぐに見ているようだ。残りの半分の時間では、アンナのことを自信がないだの、お世辞は言うなだのどなりつけている。決して弱虫ではないアンナも負けじと言い返す。アンナが反抗すればするほど、ベートーヴェンは彼女の中に自分と同類である魂を見出していき、自分の脆さと芸術を作り出すことの重荷を打ち明けられる相手として認めていく。エド・ハリスのベートーヴェンは苦痛に苛まれているが、打ち負かされてはいない。心の奥底では自分の責任を充分に理解していて、ただ崩れていくことはできない男に見える(“神はたいていの男の耳元では囁く”ベートーヴェンは言う。“私の耳元では叫ぶんだ”)アニエスカ・ホランド監督(『オリヴィエ オリヴィエ』)は堂々として、優しさと暴力が交互に現れる人間ドラマを撮った。いくつかのスリリングな瞬間があり、そこには輝かしい交響楽第九番の初演に耳を傾ける観客たちの感動の場面も含まれている。(Tom Keogh, Amazon.com)
「才能」を持ってしまったヒトにささぐ
★★★★☆
本作の主人公はベートーヴェン(エド・ハリス)でなく、作曲家を目指すひとりの写譜師である架空の女性(ダイアン・クルーガー)の視点で描かれる。
ひょんなことからベートーヴェンの書きなぐった楽譜をきちんと清書するという仕事を引き受けることになった主人公アンナ。
最初は若い女性だということだけで、「出来るわけない」とか「女のくせに」とか、言ってるのだけれど、ぶつかりながらもアンナの頑なな態度や写譜の才能などを認めて行く過程は、すごく自然な流れでとてもよかった。
「私はあなたの原稿をコレクト(修正)しただけです。なぜなら、私の知るベートーヴェンならば必ずそうしていたはずだからです」
と理路整然と主張する彼女は印象的。
そしてギリギリで完成した「第九」のコンサートシーンが圧巻の展開なんです。
直前に「音が聞こえないから指揮は無理だ」と落ち込むベートーベンの為に、ステージの見えない所にしゃがんで、ベートーベンのために指示をするアンナ。その二人の手が画面にリンクして、二人の感情は頂点に・・・・これはセックスといってもいいくらい二人が一身一体となっている。そしてクロスして完成させた「第九」のコーラスシーン!!。
オーガズムってヤツですな笑
その後、病に倒れたベートーベンがベッドの中で アンナに難解といわれる「大フーガ」の写譜をさせるシーンに入っていく。
「第九」のオーケストラではなく、何故あえてこのシーンを映画の最期
にもってきたのか。
きっと、これは理解を超えた「二人は心で愛し合ってる?」いうことを描きたかったのか。女性監督らしいですね。
男女愛や師弟愛を越えた愛。
この時代も作曲家はあまたいたワケだけど
ベートーヴェンの芸術家としての「本質」を後世に残したい、という主人公の
執念みたいなものもあるのかもしれない。
少し、映画的起伏が足りなかったり
二人の掘り下げ具合に物足りなさを感じた映画ではありましたが
やはり女主人公の、なまじ才能を持ってしまったがゆえに
「夢」という危険な煉獄にハマってしまう切なさみたいなものは
心揺さぶられました。
それがゆえにベートーヴェンをささえたい、のだと。
第九初演のシーンだけでも観る価値あります。
★★★★★
晩年のベートヴェンが描かれています。怒りっぽく、頑固で、癇癪もちでと、とても付き合いにくそうな人として伝わっている、”楽聖”。人間の身体には収まりきれないような量のエネルギーが充満しているようです。天才と呼ばれるひと達に共通するのではないでしょうか。この映画は、「第九交響曲」初演を巡るエピソードから始められています。ベートヴェンが生きた当時のウィーンの街並みや住まいやオーケストラが再現されていて、それらを背景として描かれる「第九」の初演。この場面だけでも観る価値はあると思います。あの数え切れないほどの名曲を産み落とした作曲家の素顔をしりたいという思いがある限り、ベートヴェンは描かれ続けてゆくでしょうね。
架空の人物設定でここまで説得力があるのは凄い!
★★★★★
アンナ・ホルツなんて聞いたことない、ダレだっけ〜?と思って見たら、なあんだ架空の人物なのね。
でもベートーヴェンの晩年のごく近くに女性をおくというのはとても興味深い設定だった。確かに第九初演の時、オール・スタンディング・オベーションが聞こえない彼を振り向かせたのはカロリーネという女性だったと言われているし、最後の最後まで誰かを想っていたのはいろんなところでつづられているし。
それにしても
やっぱ
いっちばん
すごいのは
エド・ハリスの名演!!!!!!!!!
こ〜んなにベートーヴェンが似合うとは思わなかった
改めて思う
どうして彼にオスカーがいかないの?
無冠の帝王というのも相応しいけれど
ほんとうに極めて読み込みの深い、素晴らしい演技だった
第九の場面に使われたのはハイティンク指揮のアムス
だそうだけど
いいなあ、これも
買おうかな
第九の曲と人間ドラマが緊張感を高める
★★★★☆
同曲を写譜したアンナの身振りで、耳の聞こえないベートーベンが第9の指揮を成功させる場面が感動を与える。曲自体の緊張感の高さと同時に、アンナとべートーベーンの意思疎通がうまくいくのかという人間ドラマに、我々聴衆ははらはらして見守る。
エド・ハリスが高貴な精神と下卑な行動が共存するベートーベンを好演するに加え、アンナ演じるダイアン・クルーガーが一人の天才作曲家と対等に渡り合う独立精神旺盛な女性をリアリティもって演じている。アンナの姿を見て、勇気づけられる。
原題はCopying Beethoven
★★★★☆
「歴史を忠実に」描いた映画の気分で安心して見ていたら、大胆な作り話にはめられていた…というのがここ何十年の潮流(例えば「アマデウス」)だが、この映画はその路線とは違うと思う。「芸術家は何を残すのか」「ベートーヴェンは何を私たちに残したのか」が隠れテーマのように私は感じた。主役がベートーヴェンとアンナ・ホルツの二人に分散してしまった点、微妙な弱点かもしれない。
演奏場面の見せ方、構図、象徴的に使うBGMなど音楽映画としては、なかなかのものだ。ベートーヴェンの家に入りびたって、困難なプロジェクトに参加させてもらったみたいで、私は結構楽しめた。
女性なので壁に当たり、作曲技術とアイデアだけではダメと悟ったヒロインがどうなるか…興味深い。最終場面には、一つの結論でなく、一人一人イメージをふくらませられる味わいがある。特に服装、そして調度品、場所、季節感、行動が映画本編と対照的になっている。ちなみに、原題はCopying Beethovenであって、「敬愛するベートーヴェンの偉大な思想」ではない。
プログラムに監督インタビューが載っていたが、「年代順につなげたら私の描きたいものとは違ってしまったので、構成面でいろいろな可能性を試した。」「アンナは架空の人物ですが、ベートーヴェンの娘的な存在……彼の音楽の本質を後世に伝えるメッセンジャーの役割をも象徴している」と述べている。