歎異抄(講談社学術文庫)
★★★★★
梅原猛の解説が素晴らしい。稀に見る第一級の書籍だと思う。日本人必読の一冊であろう。
訳文が・・
★★★★☆
原文の「浄土」という単語を、あの世と訳していることは、どうにも認められません。その他にも、梅原先生は、浄土と、あの世をはき違えているのでは?と思える所が、多々、見受けられます。 親鸞は、念仏すれば、死んだ後、極楽浄土にいけると言ってるわけではないのですが、これから親鸞の教えを知ろうとして、初めてこの本を手に取った人は、浄土=あの世と勘違いする恐れがあります。(自分がそうでした)
歎異抄の入門書としては偏頗がないでしょう。
★★★★★
序言と後序、全十八条の条ごとの原文がまずあって、次に一条ごとに語注があり、そして現代語訳となり、さらに、「こころ」と題されて梅原氏の親鸞の原文解釈がある。これで終わりではなく、さらに細かな補注があって、また梅原氏の全体解説が続く。しつこく言うと、さらに参考文献目録、関連年表、本文語彙索引、原文あとがきとなって、最後に杉浦弘通氏の本文庫本解説と続く。至れり尽せりという観で、確かに労作という名に恥じない作りだと思う。梅原氏の指摘も示唆的なものが多々ある。評者にはいかんせん浄土真宗の初学者なので、ただ知識を吸収するばかりであるけれど、基本的なことはこの一冊で十分ではないかと思う。評者はこのほかに鈴木大拙氏の『日本的霊性』と三木清氏の『親鸞』にインスピレーションを受けた。悪とは相対的な悪ではなく、無底の、根こぎにされた末法の無戒の時代にあって、けっして救われない悪であるが故に逆説的に、だからこそすべからく皆が救われる、大悲があるということ。親鸞は、絶対的孤独の死以上に死の中で黒々とした太陽が輝く闇の光に照らされた孤絶の境地にはじめて希望、生の肯定を見出したのではないか、ふとそう思う。親鸞は知と心で実存の絶対的孤立性の歴史的必然性、つまり絶望と希望の逆説的必然性をすでに鎌倉時代の混沌の時代に観取していたのだった。
親鸞の言葉そのまま、という唯円の願い
★★★★★
筆者の唯円は親鸞を知る世代と知らない世代の端境期に生きた人であり、
親鸞没後の真宗教団の教義の乱れを正すために書かれたらしい。
親鸞自身は話下手で、理解しにくい暗い文章しか残していないそうなのだが、
この「歎異抄」は、親鸞の弟子である唯円が師匠の素朴な言葉を書き記す形式であり、たいへん簡潔に書かれている。
また、この本は歎異抄の本文と和訳だけでなく、親鸞とその師、法然の思想についても説明があり、
総じて語り手である親鸞の思想が懇切丁寧に説明されている。古文の知識に乏しくとも、豊富な解説で理解できる。
是非ご一読を。
ワイド版賛成
★★★☆☆
岩波文庫は当然文庫。
文庫は字が凄く小さい。
字が小さいと目が悪いと読みにくい、また疲れやすい。
そんな中、岩波のワイド版は一応その問題点が改善されており私的には満足している。
この金子大栄氏校注の「歎異抄」は歎異抄を我々が読み解いてゆく中で一冊持っておいても良かろうと思われる書物である。
また歎異抄には数多くの現代語訳書籍などが発売されている。
それらと共に原文またこの本を併せて読み比べ「歎異抄」の作者と現段階では云われている唯円や親鸞の思想の本質とは何かを求めていく事を通してこの本は何らかの手助けをしてくれるのではないかと思われる。
学問は一日にしてならず。
また、学問は一冊にしてならず。