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私訳 歎異抄

価格: ¥1,260
カテゴリ: 単行本
ブランド: 東京書籍
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私はこの五木さんの本で初めて歎異抄を読みました。 ★★★★☆
私はこの五木さんの本で初めて歎異抄を読みました。
初学、という観点からは、読みやすい本であり問題なく読了することができました。
以前には別本で歎異抄に挫折した経験があった、という点では初めてのものにとって読みやすい、という意味です。

次に、別の著者(訳者)の歎異抄や、真宗教団の歎異抄の現代語訳と対比しながら読んでみると、相応の相違点が発見されました。
語順が違っていたり、本文に無い箇所の補足や、二重否定表現を肯定文に言い換えるなどが主たる相違ですが、本文解釈にかかわると思われる点も散見されました。
この点については、本書は五木先生が「私訳」としてご出版されたものであり、先生のご見解の表明であるということを了承の上で読めばよいことと思われます。
なぜなら、歎異抄は(古代ギリシャ語及び写本の問題という点で正文批判の極めて難しい聖書とは異なり)古語とは言え日本語で書かれたものであり、しかも本書には歎異抄の本文が収録されているので、読者が直接原典に触れて考えることが可能であるからです。

このような原典との相違をまず指摘しました。
しかし親鸞の、若しくは著者である唯円の「他力」概念については、初読のものにとっても誤読の余地のない十分な訳出がされています。
また、「悪人正機」概念については、五木氏のものであるかもしれませんが、上述の「他力」概念と矛盾の無い説明がなされています。
この点において、初読者を誤らせる恣意的な訳ではない、という点において、訳として一定の水準は確保されていると思います。

以上の点から、歎異抄に触れたことのない方の場合は本書は問題なく推奨でき、そうでない方なら五木先生のご見解を知りたいという場合に有用であると思います。
自己格闘の書 ★★★★★
歎異抄は親鸞が弟子唯円に語った教えを記録した書である。
江戸時代中期に再発見され、それまでは知られていなかった。
明治以降の浄土真宗に決定的な影響を与えた書でもある。

五木さんの訳は、さすが超一流の小説家の訳で、
親鸞の言葉が、わかりやすく伝わってくるようだ。

ただ、話の場面が、師匠から弟子への教えなので、
仏教の専門用語が混じる。

業、とか、誓願、とか、凡夫とか、阿弥陀仏とか。
こういう、専門用語は、簡単に理解出来ない。

親鸞はまさに、こういう「難しい」仏教を、ただ「南無阿弥陀仏と唱えれば、どんな人でも極楽へ行けるのだ」
と説いた所に特徴があるのだ。

親鸞のどの書物を見ても、結局この「専修口称念仏」(ただ、口でなむあみだぶつと唱えること)に帰着する。

したがって専門的知識や学問を必要としない。

親鸞のとらえかたには、さまざまな様態があったろうが、「歎異抄」は唯円の受け取った教えを忠実に記録したものである。
彼のような学問のある人には、そのように説いたのだと思われる。

釈尊が「応病与薬」(病に応じて、薬を与える)したように。

「歎異抄」にしても、いろんな解釈があるのは当然で、解釈を「固定化」しようとすると、他の解釈との間に「正当、非正当」の差が出てくる。

この書は、始めからそういうことを意図して編纂されたものではない。

「ただ、ひたすらに仏を念じること」の大切さを説いたものである。
理解の手助けになると思います ★★★★★
岩波文庫の歎異抄は読んでいたが、この私訳を読んで、理解が少し深まったように思います(自分が簡単に理解できるとは思いませんが)。
「他力本願」、ひたすら阿弥陀仏の救済を信じること。「自然(じねん)」、みずからの意思を超える大いなる仏のちからに任せることをいうのである。すなはちそれこそがまさに「他力」である。というくだりは、他力本願をよく示していると思います。「他力」には、なにかキリスト教に通じるものがるのではないでしょうか。是非、日本仏教の系譜を解説した本を著者に書いていただきたいです。
よくわかりませんでした ★☆☆☆☆
五木寛之氏の本はたいてい読んでいます。

ですが、今回は、期待外れで、残念です。

 五木氏は親鸞の教義を本格的に学んだ人ではないと思うので、

仕方ないのかもしれませんが・・・。

書いている人が分からずに書けば、読む人はぜんぜん分からないの

は、ある意味当然かと思います。

ですが、五木氏のように有名で、素晴らしい作家が出される

本であり、何万、何十万という人が読むのですから、“私訳”など

という逃げ道を用意しないで、しっかりとした本を書いてもらい

たいと思います。

五木寛之氏の手による現代人が親鸞の教えに触れるための貴重な書である。 ★★★★★
この五木寛之の『私訳歎異抄』は、五木氏の「主観的な現代語訳」であり、従って氏が述べるごとく「唯円が歎く親鸞思想からの逸脱かもしれない」。しかし、親鸞が『大無量寿経』というテキストを大胆に読み替えたと同様、親鸞思想を説く『歎異抄』を、五木氏が「自分の見解」にこだわった」意訳とも言えるこのような現代語訳が出版されたことは、誠に素晴らしい偉業であると思う。浄土真宗を家の宗教としている方はもちろん、是非、一人でも多くの方に
本書を読んでいただきたいと願う。

親鸞や、その教えを長年、追いかけ続けている五木氏の手になる書だけに
本書の価値は一層増すのであろうと思うものである。