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コーヒー・ハウス (講談社学術文庫)

価格: ¥1,008
カテゴリ: 文庫
ブランド: 講談社
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「さまざまな意見の人たちが、コーヒーの香りと紫煙の中で、政治を論じ、権力を批判する」。17世紀半ばから18世紀にかけロンドンで繁栄した「コーヒー・ハウス」は、そんな場所だったらしい。時代背景といい、そのブルジョワ的喧噪ぶりといい、江戸時代の「浮き世風呂」や「浮き世床」を彷彿とさせるが、著者が「人間のるつぼ」と表現するこの市井のサロンには、政治家、芸術家、詩人、小説家、ジャーナリストから、政府の隠密、海運業者、株屋、はては賭博師、詐欺師、スリ、その他もろもろの犯罪者まで、およそ大都会にうごめくありとあらゆる人種が立ち混じっていた。その日常のにおい、出入りする「ボー(粋人)」「ウィット(才人)」の人間模様、政治・経済・社会的機能を、著者は、ダニエル・デフォー、ジョナサン・スウィフト、日記作家のサミュエル・ピープスらの記述、当時の新聞記事、広告などから、克明に活写している。しかし、そうして再現された「コ-ヒ-・ハウス」なるもののかたちは、町人だけの社交場だった江戸の湯屋とはかなり様相が違うようだ。
この「人間のるつぼ」は、政治的には「トーリー(保守党)」と「ホイッグ(自由党)」の苗床だったし、経済的には世界最大の保険機構「ロイズ」を萌芽させる土壌だった。文化的には、「詩人ジョン・ドライデンを中心として17世紀末のイギリス文学、とくに詩と演劇の分野に大きな影響を与え」「ジャーナリズム、エッセー文学の成立に貢献した」。そればかりか、たとえば、ロンドン大火(1666年)の原因として「カトリックの陰謀事件」を捏造するようなデマゴギー機関としての役割も果たしている。言ってみれば、ロンドンのコーヒー・ハウスは、イギリス18世紀文化の内臓機関だった。この本を読むと、それがよくわかる。(伊藤延司)
ロイズ保険や新聞/雑誌も誕生した英国コーヒー・ハウス ★★★★☆
 ハーバーマスのパブリック・スフィアで名を知った英国のコーヒー・ハウス。17世紀後半から18世紀前半に、英国の情報の中心地でした。その様子をさらっと垣間見ることができる本です。

小生の印象に残った点は以下です。
・アラビアのモカ・コーヒーを中心として、酒類を出さない安い溜まり場として、オックスフォードで発足。ラテン語ではなく英語で議論ができた。学問が生きていた。
・科学実験を見せるところがあった。王立協会の母胎にもなった。
・パブだとあっという間にお金がなくなるが、コーヒー・ハウスなら1杯1ペニーで何時間もいることができた。
・ロンドン大火前は、個人の家は、3部屋に30人が住んでいるような状況で、男達はそこから待避する場所、商売をする場所としてコーヒー・ハウスを居場所にした。
・貴族の伊達男達から宮廷の状況が聞けたり、貿易・船舶の情報を商人・保険屋が交換したり、スリやいかさま博打打ち、インチキ医師や商品見本紹介など、人種のるつぼだった。
・大きなテーブルは、討議用。
・その場で話されていることをメモして、新聞・雑誌が発展した。また、コーヒー・ハウスが確実に買ってくれるのも新聞・雑誌の発展に寄与した。
・ロイズは、元々ロイズ・コーヒー・ハウスで、船舶情報の新聞を発行して差別化した。これが、保険のロイズに発展した。
・文士は、コーヒーハウスで相互に批判して、文を練り上げた。
・高かった本を自由に読めた。
・コーヒー・ハウスによって、政治(党派別)、商人、文士といった分化が進み、多様性が減ってきた。
・都市計画によって個人邸宅が清潔になるに従って、商談を自宅でする人も増えた。
・コーヒーハウスに行かなくても新聞が読めるようになった
・賭博を許可するところが増え、議論の雰囲気でなくなった。
・コーヒーから紅茶の時代に変わった。

 17世紀のロンドンのペスト・大火も超えて大繁栄したコーヒーハウスでしたが、18世紀中頃から流行らなくなりました。その分析は別途とあります。
コーヒーハウスとインターネットの相似 ★★★★☆
 17−18世紀にロンドンに見られたコーヒーハウスの話を興味深く読んだ。

 本書で紹介されるコーヒーハウスとは、文人が集まるクラブであり、ロイズのように保険の売買が成立される商売の場であり、政治が論じられる討論の場である。「情報」というものの価値が上昇し始めた歴史の中で、ある一時代に輝いた「場」であったという点が著者の主張だと読んだ。


 現在において、コーヒーハウスに相当するものは、インターネットであろう。


 文学談義、政治討論、商売が、無数の無名な人で為されている場を考えてみると、インターネット以外にはあり得ない。
そう考えると、僕らが今やっていることと、17−18世紀の英国人のやっていることの間には、実は大した差は無いとも感じてきてしまう。いや、著者が本書で描きだすコーヒーハウスにたむろする人々は、現在の僕らと似たようなものなのだ。そんな妙な親近感が読後に残った。
在りし日の公共圏 ★★★☆☆
読んでいるとコーヒーが飲みたくなってくる!
コーヒーの香り、煙草の煙、そして喧騒。
ロンドンのコーヒーハウスと市井の人々の日常の様子がうかがえる一冊。

いまやイギリスにおいてはコーヒーハウスよりもパブのほうが多いように思うが(というか、コーヒーハウスでも酒を出すようになった、という見方のほうが正しいのかもしれないが)、パブにおいても、そこでの議論の文化が今でも残っているように思われる。

とはいえ、ハバーマスの言う「公共圏」としてのコーヒーハウスは、やはりこの時代のことで、いまや存在しないのだな、などと思った。
そんな時代認識にも手軽に読める書であろう。

残念なのは、それぞれが奇抜な色でできた不器用なパッチワーク状の構成。

どういうことかというと、それぞれのエピソードはそれぞれに光っているのに、そのつなぎ方があまりにも不器用で、ぐいぐい読める、という感じではないということ。
構成さえ上手くいけば、もっと面白い本になったのではないだろか。
なんだかちょっと消化不良感が残った。