歴史・宗教面から多角的に解説した書
★★★★☆
本質的には、キリスト、イスラム教とも平和主義であるにもかかわらず、中世・近代の聖地の防衛、生まれながらの奴隷たる野蛮人への善意による統治、福音の布教やその他の侵害などの理由で、征服戦争を正戦とし、現代では、人道的介入や米の行っているテロと同様の恐怖を世界にまき散らかしてる予防戦争を正戦と解釈している。
ウォルツアーは、民族浄化や組織的な虐殺、生命と自由の侵害に限定されたミニマムな「人権」侵害のみを理由とする、人道的介入を条件付で正当化しており、その部分には賛同できた。
但し、国連かNATOによる介入かコメントせず、中ソ対立の代理戦争様のベトナムによるカンボジア侵攻から中越戦争があったにもかかわらず、それも隣国がする場合が現実的に成功する可能性が高い例としてあげている点、オルブライト米国務長官により外交よりも武力介入が進められ、NATOに守られたアルバニア人によるセルビア人への蛮行が続いた点に触れずに、コソボを「介入するが迅速に退却する」原則の例外にしてる点については、不満を持った。
いずれにしても、正戦であろうがなかろうが、当事者民衆にとってみれば、災難にかわりはなく、文化・経済を含めた外交や、経済格差を縮めるといった根本的解決がなされぬ限り、拡大解釈による「正戦」が止まることはないだろう。
「正戦」の復活は是か非か
★★★★★
いまの世の中、戦争それ自体を「善し」と言いきる人は殆どいません。さはさりながら、この21世紀の今日ですら戦争がなくなっていないということも、残念ながら冷厳な事実です。国家は何ゆえに武力を行使し、人はまた何ゆえに戦うのか。古くて新しくて重くて難しい問題です。
本書は、古代ローマから今日に至るまで、戦争という営みに対する人間の捉え方を、法・宗教・思想という3つの観点から分析し、右の問題に対する考察の糸口を提供しようとするものです。キケロ、グロティウス、カール・シュミット、ハーバーマスなど、古今の思想家・法学者の思索を概観しつつ、戦争に対する時代的な見つめ方が変容していく様子が、平易に、かつ多角的に語られていきます。
NATOによるコソボ空爆等を契機に、欧州中世の「正戦」的思想の復活傾向が指摘されるなか、本書は、これからの人の世の安寧を考えていく上で、たいへん示唆に富んだものを含んでいると思います。
複数の著者による論文集の体裁をとっていますが、しっかりとした縦糸を通す工夫がなされており、こうした点でも好感の持てる一冊です。
穏やかな平和主義?条件付きの好戦主義?
★★★★★
「正しい戦争」とは、条件付で戦争を認める考えです。「自衛戦争すら認めない平和主義ではないが、およそすべての戦争を認めるというものではない。武力行使の必要な事態があることは承認するが、その原因と方法に「正しさ」という条件を付すもの」と序論にあります。様々な文明圏を広く見ると「正しい戦争」には、聖戦、正戦、合法戦争の3類型があります。
十字軍の聖地奪還や異教徒改宗を目的とした聖戦と正戦が同一視された中世から、西洋の公法から見て野蛮な人を文明化する目的の人文主義的な正戦論に拠った大航海時代。この時代の流れを西洋史から見た研究と、他方、侵略されたインカ帝国側から見た研究があります。また「正戦」思想の宗教的な背景を、キリスト教側とイスラム教側の専門家が考察した論文が2編。さらに現代の視点から、Carl SchmittやJuergen Habermasなどドイツ思想家の「正戦」思想を紹介したものと、Jean Bethke ElshtainやMichael Walzer,, Michael Ignatieffなど米国のそれとが、1編づつあります。国際法から見た「合法戦争」「正しい戦争」論が1編あります。
現代では、正しい戦争とは国際社会が実定国際法または国際機関または国際世論によって合法とみなす戦争とのことです。この本は、議論百出するこの問題の今後の議論のための素材を整えてくれています。
9条で育った僕の年代には、この問題を冷静に扱うこと自体が簡単ではありません。僕と同じ様な方には、「はしがき」と「序論」をゆっくり読むことをお薦めします。史家としての冷静公平な目で全体を見ており、考察対象を3分法で明晰に述べられています。錯綜した用語のはっきりした理解、後続の論文が扱う問題への手引きと共に問題への適視距離に自分を置く模範例を読者に与えてくれます。敬服しました。