力まないで読んでみては
★★★☆☆
テレビで政治家や政治評論家の煽るだけで
何の内容もない議論をみるよりも、この本を
まず読んでみて政治をどうみるかの視野を
得ることをしてみることを始めてはどうかと思う。
対談した著作で藤原氏の評価をするのはあまりに
無意味。
「ありきたりなリベラル」とは一線を画したリベラル的平和論
★★★★★
著者の藤原帰一はリベラル派の国際政治学者として有名だが、本書は掃いて捨てるほどいるリベラルの聞き飽きたような論とは一線を画している。
軍備を可能な限り減らし平和へ向かおうとするリベラル的傾向は明確に打ち出すが、絶対平和主義には陥らず、軍備の必要性も認める。
戦争違法化が「戦争を起こした奴」を非道として認識するため、それへの制裁が逆説的に正戦を帰結させるというシュミット以来の問題もきちんと認識している。
核を一回でも使ったら核使用への抑止効果は消滅し、ひいては核戦争へと陥る危険があるというのはその通りだと思う。
そして今のアメリカは実力的に核を使用しても反撃を受ける可能性を考慮する必要はなく、実際戦術核の研究は進んでいる。だがこれはだからといってアメリカが簡単に核を使うとは私は思わないが。
またグローバリゼーションや冷戦、民主化に絡んで、アメリカの力の過大評価が批判されている。これはアメリカに対して肯定・否定どちらの立場にも見られる誤謬だろう。なんでもかんでも悪をアメリカが原因として見るのは単純化にすぎるのだ。もちろん逆にアメリカの力を過大評価して「強い帝国」としていくのもしかりだ。
ただ憲法に関しては凡庸なリベラルと変わらない護憲論の気がした。少なくとも憲法は自衛隊を認めている、と明言しないなら、歯止めとしての憲法という論は説得力がない。
それでも、外から見た日本(日本軍の見られ方)と日本の平和主義の内向性は興味深い。
細かい点で異論はあっても、リベラル派としてはかなり練りこまれた議論で、十分読むに値する。
最近の藤原帰一の本はどんどん凡庸なリベラルに向かっていて残念だ。モグリで時折きいてる法学部の国際政治の講義ではまだバランスを持てている気もするのだが。
読みやすい一冊
★★★★★
私には少し難しい内容かなと思いましたが、
読んでみると口語体でサラサラ読み進みました。
また、ところどころ脚注に説明もあり、とても助かりました。
インタビュー本のため、読みやすい一冊でした。
タイトルと内容は、イマイチ一致してない。帯のキャッチも、よくないゾ
★★★★☆
著者はまず現在の各地での紛争を、国家原理の世界基準が民族主義から民主主義へと転換する局面での抵抗と見る。そして著者自身、民主主義の「正しさ」は認める。ただ移行に際して武力的強制は正しくないし、成功もしない(p128)。米国が単独で正義を代行することが逆に混乱を助長している(p137)、国家が内部から変化して初めて、新しい政府も何とか安定する(p299)、と著者は示唆する。イラクの現状にも妥当する主張だが、本書ではむしろ、東南アジアに関する議論に厚みがある。
ソ連崩壊によって欧州の冷戦は終結したが、アジアでは米中接近というハンパな終わり方で、しかも冷戦構造を代替する枠組みが見えない。この地域は欧州と異なり政治体制は左・右、民主・独裁バラバラ。宗教も多様だし、元植民地も多いため国家主権制限に警戒心を抱く。ここで特定の理念や正義を振りかざせば反発を招くのは必然で、伝統的な外交交渉を積み重ねるしかない(=平和のリアリズム)。
翻って日本の外交には安保重視派と経済外交派の2極あり、前者は米軍の抑止力に依存して東アジア地域での勢力均衡を志向(ただし米国が和平を志向すると、軍撤退を恐れて対立を煽る)。対して後者は東南アジアでの外交戦略に代表され、経済協力を中心とする多国間協力を志向。著者はもちろん後者の立場に立って小泉訪朝を「歴史的」と評価し、六者協議に一縷の希望を託している。
私は著者に基本的には共感する。しかし東南アジア政治が専門の著者が同地域での外務省の外交戦略を称揚するのは、やや「身贔屓」の印象も受けた。日本の経済「進出」への深刻な反発もあったはず。また「正しい戦争」を論じるなら個人と国家関係にも踏み込むべきだが、言及はなく、これは本書の大きな欠落だと思う。
バランスのとれた一冊
★★★★☆
一般的な教員にありがちなリベラルな立場とは、距離を置いた藤原氏ならではの著書だと思う。
口語調の文章のせいで、個人的には少し分かりにくかった気もした。
しかし、藤原氏特有の<平和へのリアリズム>の観念からの外交は確かに現実味や説得力があったが、<人間の安全保障>という観点から見るとどうなのかなぁ、という気がした。(多少オーバーかもしれないが)
いずれにしろ、バランスの取れた議論をおこなう藤原氏らしい一冊である。