インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

戦争を記憶する 広島・ホロコーストと現在 (講談社現代新書)

価格: ¥777
カテゴリ: 新書
ブランド: 講談社
Amazon.co.jpで確認
記憶する者とさせる者 ★★★☆☆
戦争という国家や民族のアイデンティティを左右する出来事については、これをどう記憶し(記憶させ)、ひとつの物語として紡いでいくのかが公私を問わず常に深刻な課題となる。さまざまな政治的・社会的条件のもとでそうした企てがどのようになされてきたかを本書は日米におけるヒロシマの捉え方などを通じて分析してゆく。映画や文学の作品解釈をもとりこんだ著者の分析は手堅く、説得力がある。とりわけ米国社会にとって第二次大戦の意味づけはもはや修正不可能であるほど決定的な──修正しようとすれば国家の思想的存立基盤を損ないかねないほどの──抜き差しならぬものであることを指摘した部分は読み応えがある。左右両派の思想的バイアスが掛かりがちなこういうテーマでありながら、政治的社会的背景を冷静に読み解こうとする著者の姿勢は好感がもてる。ただ、ホロコーストやヒロシマを主要なテーマとするなら、ドイツなど日米以外の当事国であった国々についての分析も必要ではなかったろうか。
問題意識はいいんだけど・・・ ★★★☆☆
第一章において、広島の平和記念資料館とアメリカのホロコースト博物館の語る戦争観の違いが分析される。そこで、著者は、その違いの原因を、単に「正戦」観念を孕むユダヤ・キリスト教の伝統と、日本の伝統・文化の違いに還元するのではなく、具体的にどのように「語り伝える」という行為が繰り返され、集合的記憶が形成されてきたのか、そこを丹念に分析するべきだと言う。この点、もっともだと思う。ある出来事から何を教訓として記憶していくかには、かならずその時の社会的条件が反映するものであり、現在を規定する歴史認識の拠って立つところを分析しようとするならば、「記憶化」の過程における政治的・社会的力学の分析が不可欠である。

と第一章で見事な問題意識を披露しているにも拘らず、続く二章以下での分析が非常に皮相なのが残念でならない。

第三章以下では、日米の戦争観が検討されるが、その分析は第一章での問題意識と裏腹にどうもステレオタイプの域を出ない気がする。戦争観の表れとして映画の分析がなされるのだがそれらも、どうとでも言えてしまいそうな曖昧なものである。本当にこのテーマに取り組むのであれば、遺族会や退役軍人会の動きや歴史教科書などといった様々な、「戦争を記憶」しようとする試みの相互の葛藤を丹念に追っていかねばならないはずであろうに。例えば、WW2後、米退役軍人たちは、軍人恩給によってマイホームやマイカーを入手するなど戦後の大衆消費社会の牽引役となっていく。このことは、戦争の過程=貧困化の過程であった日本とは、対照的な現象である。膨大な数の軍人達が、多額の恩給を手に、社会に戻り、新たな社会を形成していったこの過程に、戦争観の起源を求めていくと面白いかもしれないと思うのだが、どうでしょうか。

しかし、何はともあれ、国際政治学者がこういうテーマに目をつけるのは良いことだと思う。著者の今後の研究に期待したい。

戦争を記憶すること…それは難しい問題 ★★★☆☆
戦争関連の本というのは、多かれ少なかれ、右,左があるものである。しかし、この本に関しては、右も左もないと思う。この本が主張したいことは、戦争というのがどうのように記憶されたか、そしてその記憶のされ方によって各国の戦争観,ナショナリズムが形成される、ということだと思う。
確かに、各国の戦争観,ナショナリズムというのは、教育のされ方、つまり記憶のされ方の影響が大きい。記憶のされ方によって、事実の歪曲が行われ、解釈の仕方が変わる。そう考えると、歴史教育というのは各国の思惑の下に行われているだけなのだろうか?
結局、我々が本当の意味で過去の戦争に向き合うということは、各国の戦争観を学び、自分の中で折り合いをつけることなのかもしれない。
戦争を記憶すること…それは難しい問題だ。そんなことを強く感じた一冊であった。
最後に一言。この本は難解です。使う言葉も難しいし、表現の仕方も難しい。この手の話題に詳しい人には良い本だと思いますが、疎い人には難しい本だと思います。正直、私には難しい本でした。そんなわけで星3つ。
記憶の研究動向 ★★★☆☆
記憶という私的な感情ではなく、冷静な論理性による分析が国際政治には必要とされる論者もおられるようだが、これはある程度正しくてある程度的を射ていない
記憶とは今や個人の感情だけでなく、公的な記憶・国民的な記憶など、その集団・共同体を構成する要素として認識されているという研究動向がある
つまり、一つの文化として、記憶というものが認識されているのだ
国際政治分野ではないが、歴史や社会学などでは記憶をめぐる研究は盛んだ
その中でも戦争はインパクトの強い出来事であるために、研究対象としては取り上げやすい。この著書はその文脈上のものである
しかし、著者の理解は多少甘いかもしれない。ピエール・ノラについての言及でそう感じた

その意味で☆3つ
題名の ★★★★☆
「戦争の記憶」とは、著者の感情云々によるものではなく、各民族、各国家において「戦争」はどう「記憶」され、そうした「過去」の「記憶」が「現在」にどう影響しているのか、を述べているのであろう。

実際に、今回のイラクに対するアメリカの動きは、基本的には本書に書かれているような考え方が底辺にあったことは否定できないと思う(もちろん、他にもテロに対する考え方等、さまざまな要因があったが)。

しかし、だからと言って、今回のイラク派兵を容認するものではない。
ただ、イラクの9.11テロも彼らのグローバリズム(=アメリカ化)による自国文化・伝統文化崩壊への危機に対する反発も関係しているように思う。
つまり、彼らにも彼らなりの論理があり、それを理解することなく、一方的に責めてはいけないのではないかと思ったりもするのだ(もちろん、テロが悪いことではない、と言っているのではない)。

誰もが戦争を憎んでいることは当然だ。しかし、単純に「戦争」=「悪」と言う前に(いや、もちろん、悪なのだと思うが)、もう一度、それぞれの国の考え方を見つめ直さなければいけないのかもしれない。それをする中で、初めて国際化とは何か、異文化理解とは何かを学ぶことができると思う。