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WOW

価格: ¥3,059
カテゴリ: CD
ブランド: EMIミュージック・ジャパン
Amazon.co.jpで確認
毎日聞いても飽きない ★★★★★
毎朝目覚まし時計の代わりに1曲づつ聞いていますがまったく飽きるということがない。
名盤とか古典というのはこういうものかもしれません。
カタログde junko onishi ★★★★☆
ライナーノートを見ると○○○の様なとか風と云う文字が踊っています。玄人受けする演奏なのでしょうか!?素人ファンの私には取り入る暇が無い置いてきぼり状態です。しかし、今は食肉系女子、この時代はイケイケ系女子のパワーは好きです。
12オンスの重いグローブがボディブローのようにさく裂する、「スイングジャーナル」誌選定ゴールドディスク ★★★★★
グガーン!と次々に繰り出され、太くて低い波動がリズミカルにガンガン突き上げてくる衝撃、それが冒頭オリジナル曲「ザ・ジャングラー」の高揚でした。表題の通りデューク・エリントンの一つの核心を抽出し、興奮の上へ更にスリルを加えた大西順子の独創性は、豪放さもありますが、むしろ非常にセクシーな音楽だとも言えるでしょう。嶋氏のベースはうねり、原氏のドラムは波濤のように押し寄せ、当にジャングル・サウンドがあります。
そしてここにある共鳴、うねり、増幅、加速、この高揚こそ紛れもなく“スウィング”であり、テーマが戻ってきた際の、到達感に似たカタルシスは爽快さすら覚えさせます。次から次へ音が打ち寄せ連続し増幅してゆく様、この1曲は大西順子のほとばしるエネルギーを感じるには最適でしょう。

3のオリジナル曲「Bラッシュ」では、嶋氏のピチカートによるビートが静かな高揚を作り出すクールで渋いナンバー。レッド・ガーランド・トリオの「C JAM BLUES」のグルーヴや、ソニー・クラーク・トリオの軽やかさを持ちつつ、大西氏独特のくぐもった影が差し込むので、音はけだるい役者の背中のような表情で夜を往きます。彼女の哀愁は7「ネイチャー・ボーイ」で更に美しく発揮されるのでこれもお楽しみに!

ハイライトは、セロニアス・モンク「ブリリアント・コーナーズ」です。この20世紀の難曲において大西氏の音楽魂の姿勢が実感できるでしょう。それは“〜のような音色”というものでなく、巨人たちを徹底的に研究し尽くした彼女だから、その先にデザインしうる新しい絵でした。つまり、彼女が組みたて直す新たな譜には、ユニークで大胆な構造の創造性と、何年経っても一音一瞬に発見をみれるような、緻密さと遊び心が密にこめられており、それを観じうる演奏なのです。例えばロリンズのソロ部や特に歌心あるアーニー・ヘンリーのソロ部を再現する愛嬌たっぷりな音の表情は、大西順子の嗅覚や発想の面白さを体験できる個所です。

・「スイングジャーナル」誌選定ゴールドディスク
・「スイングジャーナル」主催第27回(1993年度)ジャズ・ディスク大賞 日本ジャズ賞受賞作品
数少ない本格派 ★★★★☆
大西の凄い所はジャズの伝統にどっしりと根をはったうえで太い幹と豊かな枝葉を茂らせているところにある。だから無意味なダラダラとしたインプロヴィゼイションの応酬も無いし、ジャズを単なる素材として遊び道具の様に扱う若さ故の傲慢さからも無縁である。テーマ、ソロ、アレンジのバランスも良く、曲として成立/完成させることに真摯に取り組んでいることが伝わってくる。必要な時に演奏し、そう思えない時は雲隠れするなんてロリンズみたいでいいじゃないか。惰性でシーンに関わろうとしない潔さが音楽のキレにも現れている。全曲推薦!
時の流れを否定しないJAZZ ★★★★★
村上春樹氏の某エッセイで名前が出てきたので興味を持ったという誠に本人に失礼な理由で購入してしまった。が、本作ははっきり言ってあたりだった。ジャズジャイアンツの作品に引けをとらない、というか90年代以降の人にリアルタイムで聴くジャズの入門アルバムとしてお勧めである。

演奏しているのはスタンダードありオリジナルありの普通のピアノトリオスタイル。だが体を動かしたくなるようなスウィング感や自然と心が浮かれてくるような軽やかさはとても新鮮で、90年代以降の「いまのジャズ」を感じさせてくれる。モダンジャズの普遍化を古臭くなってしまったなどと悪く思わず、歌謡曲などのように、自然なポップとして届けられるようになった好条件として捉えているところが、肩のこらない気持ちよさを運んできてくれる。ロックやヒップホップなどジャズ以降出てきた音楽の流れを受け入れた上で、「でも私たちはジャズが好きなんですよ。こんな表現だって出来ますしね」とさりげなく出したような、たたずまいが美しい傑作だ。
村上氏はウィントン・マルサリスなどの新古典派ジャズには厳しいが、その理由はジャズ以降の音楽の潮流を無視してかび臭い経文を有難がるように、モダンジャズ原理主義的スタイルをとるようなところにあるのではないだろうか、とこのアルバムの「モダンさ」を楽しみながら思った。演る人間次第で音楽は古臭くも新しくもなるみたいだ。