神秘主義者としてのイメージが強いエックハルトですが,またじっさいにそうでもあるのですが,かれは同時にきわめて知性的な神学者でもあり,同じドミニコ会の先輩である聖トマス・アクィナスをはじめとするスコラ学に,またアウグスチヌスに代表される教父にも通じていた人らしい。
実際,本書の説教はどれもこれも感性的であるよりもはるかに理性的な印象をあたえるもので,著者のロジックについていくのに,かなりな知的努力と集中力を要求する気がします。
そこで,本書をとりあえず頭で理解するためには,この説教集と同時に,かれの神学について,いちおうの理解があると,とてもいいと思います。
ヘリベルト・フィッシャー『マイスター・エックハルト』(昭和堂)やベルンハルト・ヴェルテ『マイスター・エックハルト』(法政大学出版局)は,読みやすく,量も手頃でおすすめです。またかれの言葉を誤解しないためにも,こうしたお勉強は,必用かと思います。読後に妙な似非悟りの境地に至らないための準備運動としても。
なお,エックハルトはカトリック教会から異端になってはおらず,かれのものとされる17の命題が正統な教義からはずれた異端とされ,かれ自身は最後までドミニコ修道会の修道司祭でした。
人間が苦しむのは自分のことであって世界のことではない。苦しみは全て自分から生まれる。だから自分のことで苦しんではいけない。エックハルトは繰り返しこう説く。自己逃避みたいに聞こえるかもしれないが、それは違う。真の苦しみは世界を思い煩うときに生まれるからだ。それを乗り越えるときに人間の真価が発揮される。自己逃避する人は世界のことを語るが、語るだけで悩みはしない。
結局心の平安は求められない。しかし、自己を超越しようとする人間はより大きなもののために生きる。その意義を説くのが宗教なのだ。エックハルトの説教は宗派・宗教の違いを超えて深く心に響く。
と、一応のエックハルトについて略歴は書けるが、この説教集を読んでいくとそんな経歴は瑣末なことに思えてくる。
まず、普通の人がこの本について一度目を通したぐらいではこの説教の本当の真理はわからない。(エックハルト自身でさえいくつかの説教の中で「理解できなくても悩まないでいただきたい。この真理は僅かな善き人のみが理解できる」と言っている!くらいである)理解するには何回も読み返し、それと同時に自分の心の動きを詳しく観察することが必要である。
それと同時に出来れば禅やヨーガなどの心を観照する方法を参考にするとより理解しやすくなると思うが、エックハルトの本当に伝えたかった事を理解できたとき、あなたはこの世の出来事について思い煩うことがなくなるかもしれない。