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エックハルト説教集 (岩波文庫)

価格: ¥882
カテゴリ: 文庫
ブランド: 岩波書店
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人類の宝、ただし誰もが読んでよいわけではない。 ★★★★★
 エックハルトは西方キリスト教において疑いもなく最高のメタフィジシャンの一人です。

 彼のラテン語著作集を読めば明白なとおり、彼は本質的にトマス・アクィナスの系譜に属するスコラ学者ですが、トマスの命題を突き詰めることによってトマス自身を超え、東方のヴェーダーンタ哲学に比すべき高度の観点に達しました。Wolfgang Smith,Christian Gnosis(Sophia Perennis)は「パリ討論集」などの読解を通してこのことを鮮やかに示しています。ショーペンハウアーやルドルフ・オットーなどが(不十分な理解ではありますが)エックハルトとヴェーダーンタ哲学の類似性に敏感に反応したことは、それゆえ理由のないことではありません。

 しかしまたこのことは、エックハルトの教説の一部はエグゾテリスム的な教義解釈を超えるものであること、精神的幼児に与えられる「乳」と区別されるものとしての「葡萄酒」であるエゾテリスムの次元に属するものであることをも意味しています。そしてまさにそのゆえに、教皇ヨハネス二十二世によって彼の命題のいくつかは「異端」として断罪されたのです。(断罪の歴史的経緯については上田閑照「エックハルト」(講談社文庫)に読みやすい解説があります。)人はエックハルトを読む前に、このことの意味を十分にわきまえておく必要があります。さもなければ、葡萄酒に酔い痴れた愚者として破滅への道を歩む危険をおかすことになります。

 後代のエックハルト研究者たちの大部分は、エックハルトの命題をエグゾテリスムの枠内で「正統的に」解釈しなおすことに心を砕きました。彼らの注釈とともにエックハルトを読むことは、それゆえ、「葡萄酒に酔い痴れる」ことを防止するためには十分に意味があります。(ただしまたそれはエックハルトの教えの矮小化を必然的に伴うわけですが。)
tautology ★★★☆☆
説教集なのでキリスト教概念に基づいて、私たちはどのように生きるべきか、世界をどう捉えるべきかが、語られています。
けれども、とりわけ感銘を受けたのは
〔説教五b〕なぜという問のない生き方について
のところです。

「だれかが命に向かって千年もの間、「あなたはなぜ生きるのか」と問いつづけるとしても、もし命が答えることができるならば、「わたしは生きるゆえに生きる」という以外答はないだろう。それは命が命自身の根底から生き、自分自身から豊かに湧き出でているからである。それゆえに、命はそれ自身を生きるまさにそのところにおいて、なぜという問なしに生きるのである」

諸学問は事後分析的であり、生成そのものを生み出すことはできません。もし機械や人工装置によって世界が席巻されることになっても、それは人間の目的論内での話だと思います。私たちは現実生活そのものを変更することはできません。朝目覚めて、夜眠りにつくまで、時間はとめどなくおしよせ、生きる意味に思いを馳せるとしても、雑事に追われていずれは問いを放擲してしまいます。
「生きるために生きる」その生成は言語的手段に訴えて必死に説明しようとしても徒労に終わるだけのようにも思われます。同じことの繰り返しであって、わけも分からないでただ前に進んで行くだけという考えは、真理をついています。
また、世界観の規定においても「恩寵」「浄福」という概念が、この現実の私たちが生きる世界に効力を及ぼしている…そのことが〔説教二十一〕「一なる神について」を通して、聖書理解・キリスト教の変遷の理解をするうえでも示唆に富んでいるように思われます。
神学者エックハルト ★★★★★
 教文館からもキリスト教神秘主義著作集の第6巻として,やはりエックハルトの説教集が出ていますが,こちらはずっと安価で,目次もちゃんとしている。教文館版は目次が「第26説教」のように番号のみなので,なんの説教かわからなくて使いにくい。

 神秘主義者としてのイメージが強いエックハルトですが,またじっさいにそうでもあるのですが,かれは同時にきわめて知性的な神学者でもあり,同じドミニコ会の先輩である聖トマス・アクィナスをはじめとするスコラ学に,またアウグスチヌスに代表される教父にも通じていた人らしい。

 実際,本書の説教はどれもこれも感性的であるよりもはるかに理性的な印象をあたえるもので,著者のロジックについていくのに,かなりな知的努力と集中力を要求する気がします。

 そこで,本書をとりあえず頭で理解するためには,この説教集と同時に,かれの神学について,いちおうの理解があると,とてもいいと思います。

 ヘリベルト・フィッシャー『マイスター・エックハルト』(昭和堂)やベルンハルト・ヴェルテ『マイスター・エックハルト』(法政大学出版局)は,読みやすく,量も手頃でおすすめです。またかれの言葉を誤解しないためにも,こうしたお勉強は,必用かと思います。読後に妙な似非悟りの境地に至らないための準備運動としても。

 なお,エックハルトはカトリック教会から異端になってはおらず,かれのものとされる17の命題が正統な教義からはずれた異端とされ,かれ自身は最後までドミニコ修道会の修道司祭でした。

心の平安はどこにある? ★★★★★
どうしたらこの世の苦しみから逃れることができるのか?という問いは、洋の東西を問わず人間のあるところ繰り返されてきた。宗教はその解決のために生まれた訳で、手段は違えどその目指すところは全て一緒だ。

人間が苦しむのは自分のことであって世界のことではない。苦しみは全て自分から生まれる。だから自分のことで苦しんではいけない。エックハルトは繰り返しこう説く。自己逃避みたいに聞こえるかもしれないが、それは違う。真の苦しみは世界を思い煩うときに生まれるからだ。それを乗り越えるときに人間の真価が発揮される。自己逃避する人は世界のことを語るが、語るだけで悩みはしない。

結局心の平安は求められない。しかし、自己を超越しようとする人間はより大きなもののために生きる。その意義を説くのが宗教なのだ。エックハルトの説教は宗派・宗教の違いを超えて深く心に響く。

リーベンマイスター(生の達者)の説法を聴け。 ★★★★★
マイスター・エックハルト。13c後半より1328年にかけて活躍したドイツのドミニコ会所属の学匠。優れた説法とその学問ゆえに高い評価を受けていたが、晩年にあまりにも当時のカソリックの内容から突出したその説法の内容ゆえに異端審問を受け、病死後に異端判決を受けてカソリックの歴史から抹消された人物。その思想は後にドイツ神秘主義となる。

と、一応のエックハルトについて略歴は書けるが、この説教集を読んでいくとそんな経歴は瑣末なことに思えてくる。

まず、普通の人がこの本について一度目を通したぐらいではこの説教の本当の真理はわからない。(エックハルト自身でさえいくつかの説教の中で「理解できなくても悩まないでいただきたい。この真理は僅かな善き人のみが理解できる」と言っている!くらいである)理解するには何回も読み返し、それと同時に自分の心の動きを詳しく観察することが必要である。

それと同時に出来れば禅やヨーガなどの心を観照する方法を参考にするとより理解しやすくなると思うが、エックハルトの本当に伝えたかった事を理解できたとき、あなたはこの世の出来事について思い煩うことがなくなるかもしれない。