Playing the Angel
価格: ¥459
デペッシュ・モードの2001年のアルバム『Exciter』での冒涜的な意見には、充分な根拠があった。『Exciter』はダンス・ナンバーとしてはデペッシュ・モードのこだわりをさほど強く感じさせず、ビョークのプロデューサー、マーク・ベルによるドラムの実験的な音はあまりに繊細で、インダストリアルなスタンダードからはぐれてしまい、あまり歓迎したいものではなかった。ラッキーにも本物のファンたちは仕方なかったのだろうと、あのアルバムを許し、忘れ、この『Playing the Angel』によってダークで憂鬱な偉大さを復活させたと考えている。1stシングルの「Precious」はエモーショナル満載、陰気な特質の歪んだ傑作で、「Personal Jesus」レベルの達成度だ。「Suffer Well」もいい。物憂げで愛すべき曲。さらに、ダンサブルな「Lillian」、「I Want it All」もある。くぐもったビートとスタティックな爆音がインダストリアル栄光の日々を彷彿とさせる。また、シンプルでシンセが効いたハイパー・インテリジェントなポップの「John the Revelator」。こうした曲があると、人真似の海から離れてルーツに戻ったバンドに気持ちよく敬意を表したくなるが、明らかな傷があって『Playing the Angel』を完璧なアルバムとは呼べなくなっている。2曲が問題だ。マーティン・ゴアは才能きらめく作詞者で『Playing the Angel』の曲をすべて書いているが、デヴィッド・ガーンをマイクから離して、傲慢な態度を暴露させている。「Macrovision」はそこそこだが、突っ込みどころはあるし、デペッシュ・モードのCDらしいトリルの入る余地がない。「Damaged People」も同じ。いかにもライヴを意識した危険な曲。もっとも、つまらない曲ふたつが全体をダメにしてはおらず、この形式への回帰を冷ややかに捉える人はほとんどいないはずだ。80年代よ、ごきげんよう。(Tammy La Gorce, Amazon.com)