組織としての創価学会
★★★★☆
大学で宗教学の講義にでていた際、教官が「日本人の10人のうち3人が学会員だ
と言われています」と語ったのを聞き、反射的に周りの学生を見渡してしまった僕な
のだけれど、創価学会はそれほどまでに日本社会の多数派でありながら、未だに
公の場ではアンタッチャブルという特異な集団だ。
タイトルはミスリーディングだが、「はじめに」で著者が述べるとおり本書は、創価学
会 に注目しながらもそれだけではなく、彼らが田中角栄ら自民党の中でも党人派
(利益誘導型の政治家)と密になりながら党勢を拡大していった過程を綴る政治社
会論 でもある。本書を読んでわかるのは、70年までの創価学会の拡大の背景に
日本の高度経済成長期と重なったことが密接に関係しているということだ。 日蓮が
どうのこうのというよりも、僕にはそちらの方が興味深かった。
若干ながら学会に対して親和的な記述が目立つ。ただそんな著者も手放しに学会
を賞賛している訳ではなく、地方への利益誘導を望む保守層が地盤の公明党が、
世相の変化と学会内で生じつつある格差を前に組織的変化を強いられていること
も示唆する。だから、現状を評価しているというよりも、これからの可能性に注目し
ているといったほうがいいだろう。さらにこの本の出版後の09年8月、衆議院選で
与党公明党は代表が議席を失うという希に見る大敗を喫した。党の方針も、その
母体である学会のあり方も、これからどう変わっていくかは未知数だ。
なお、文章は少し読みにくい。というのもこの人、どこか接続詞の使い方がおかしい
のだ。そこらへんでストレスをため込むかもしれないので、ご注意を。
学会は何故人を引きつけるのか
★★★★☆
政教分離とのからみや、会員の行動についてセンセーショナルな取り上げ方が多い昨今の報道のされ方とは一線を画し、非常に客観的に創価学会の歴史と学会員の日常を記載した書籍である。特に、70年代までに行われた創価学会研究の本までをも俯瞰しており、メタ学会史とも言える非常に中立的な本である。
私は題目や折伏(しゃくぶく)、学会タレント、毎日新聞社との関連ぐらいしか知らなかった。しかし、お題目等により生活リズムを整えさせ、集会によりお互いに支え合い、戦後に都会に流入して孤立していた貧困層を支えたコミュニティの役割は見逃すことができないであろう。
また、社会党→民主党を支える組織が比較的大きな企業や公務員の労働組合であり、それに取り残された人々に支持基盤を広げたことも興味深い。最も、そのことで勧誘対象を同じくする共産党と争い、公明党が共産主義に組み込まれないよう田中角栄が動いていたということは初めて知った。また、近頃は宗教が絡まない地域行事へ参加するようになったことは庶民レベルの自公連立であると指摘するというのはユニークな指摘である。
バランスある創価学会論
★★★★☆
創価学会の信者がどんな人たちで構成されているか、どんな信仰生活を送っているか(第1章「学会員たちの信仰生活」)、宗門との確執・分離などこれまでの歴史(第2章「創価学会の基礎知識」、第4章「創価学会の変化」)など、創価学会について幅広く分析・記述しており、学会について偏りの少ないバランスのよい情報を提供している。
また、最近の傾向として、学会の構成員の中にエリート層が増加してきており、今後どのように学会や公明党が進路を定めていくか難しい局面にあることや、自民党支持者と公明党支持者が重なり合うようになってきていることなどは、その当否はともかくとして、一つの見方として参考になる。
ただ、私の場合は、第3章「創価学会についての研究」は、全体で200ページ余りの本で「人の研究の引用ばかりで50ページも使うのか」と感じ、しかも内容的にたいくつだった。
なお、本書の帯には「批判でも賞賛でもない はじめての学会論」となっているが、やや学会に好意的な記述となっているように感じた。
中立的な研究とは言い難い
★★★☆☆
著者は本書で「創価学会を告発するつもりも、美化するつもりもな」く、「創価学会とそれを取りまく世の中を社会学的に理解」することを試みている(4ページ)。
本書は、創価学会に関する基本的な情報や既往研究のレビューに4分の3近くのページを費やしているため、初学者には大いに役立つと思われる。残りの部分が本論にあたる。しかし、著者は何人かの学会員の証言を除いて、新たなデータをほとんど示していないので、社会学の「研究」書としてはやや食い足りない。
例えば、著者は高度経済成長期に学会員の社会的地位が上昇したと主張するのだが、その根拠として、創価学会の「「幸せにするシステム」とでも呼ぶべき組織原理」によって、学会員の生活が平均的な人々よりも向上した可能性が高いことを挙げている(159ページ)。しかし、著者はそれを裏づける数値を示していない。これでは、中立的な姿勢とは言い難い。著者の言う「幸せにするシステム」について、社会学的に実証する必要がある。
前半の詳細な記述が秀逸
★★★★☆
創価学会の特質について、端的に信者の現世的幸福を追求することが特徴とされます。
すなわち、「真・善・美」のハイカルチャーな教条ではなく、「利・善・美」という庶民
に即した教条をもつことで、広く人々の心をつかんだというものです。具体的な信者の方の
ケース・スタディや、勤行という信仰行為の説明など、具体的な記述を通じてそれらのことが
説明されており、なるほどと思わせます。それゆえ、社会の下層階級に当たる人々が
経済成長期に広く入信したということです(実証的は難しいようですが)。
これらの前提に基づいて、現在の階層社会を絡めつつ論がなされるのですが、疑問点も
散見されます。
・教団の内部に上の階層の人々が多く参入する現状に対して。島田裕己は現世利益的・
庶民対照的な教条とこの現状との齟齬という問題点を指摘します。しかし著者は、むしろ
上流階級の人々が下流の人々に奉仕し、引き上げることで中上流階級の組織として
再編される可能性を主張します。しかしそのとき、上記の教条がそのままでよいのか、
あるいは変容するのかよくわかりませんし、第一理想主義的過ぎるではないでしょうか。
またすでに指摘があるように、信者の階層についてはデータがあるわけではありません。
・著者によると、創価学会における暴力的行為などは50年代以前のものであり、それ以後は
イメージが先行しているということですが、脱会時のトラブルが絶えないなどの現状も
ある程度考慮に入れる必要がありそうです。
また、問題になるところの政教分離をほとんど論じないまま、「政教分離に反していない」
と約一頁にまとめてしまうのはいささか残念です。社会学的アプローチが主の著者の
趣旨からは外れるのでしょうが、それについての議論もほしかったところです。