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メディア批判 (シリーズ社会批判)

価格: ¥1,890
カテゴリ: 単行本
ブランド: 藤原書店
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メディアの振る舞いと、利用されたがる専門家集団 ★★★★★
 メディア批判の書籍は年々増えてきているようで様々な質のものがあるのだろうが、フランスの社会学者、ピエール・ブルデューがものした本書は予想した通り独特だった。中でも、メディアが意図した方向への権威づけ・説得性の付与に、心理学・精神医学・経済学・政治学・及び社会学等各界の専門家が奉仕している仕組みを詳しく分析した部分が特に出色だった。あらかじめテレビ、あるいは新聞や雑誌の製作側が褒め称えたい考え方・仕組み・人物像をより褒め称え、貶めたい考え方・仕組み・人物像をより貶める機能を、専門家の意見や振る舞いは明示的・暗示的に果たしているということが、実例によって示されている。専門家の意見を発注する制作側には問題ごとに上手くコメントできる専門家の名簿が手元にあり、一方、自らの専門で国内的・国際的に高度な業績を残せない専門家には、常にメディアに進出して名声を得たいというモティヴェーションが強まり、両者の関係は制作側優勢で深められていく。結果的に、知的専門家集団はメディアの意図により強く影響されていく。その強まり具合は、閉じられた、競争の働きにくい地域でより大きくなるように見える。ここのあたりの記述は、著者の学生時代からの朋友だったミシェル・フーコーの指摘する「知=権力」の共犯関係のメカニズムを思い出す。以上のからくりは日本の状況にも多分に適合的だ。
 
 非常に説得的な内容の1冊。メディアに現れて発言する人々は何を表象しているかと同じくらい、彼らがどんな利害を代表しているのかを考えること。本書の内容が早く多くの人の常識の範疇になってほしい。
原題は『テレヴィジョンについて』 ★★★★★
原題の『向かい火』を変えて『市場独裁主義』と名づけていた姉妹書と比べると、まだ『メディア批判』という本書の邦題は適切なものです。しかし、原題は『テレヴィジョンについて』です。せいぜい『テレビの視聴率中心になっていくメディア』と名づけるのがよいでしょう。そのことを考えると、多くの読者を取り込もうとして、思想雑誌、新聞、インターネット、携帯電話というメディアまで批判しているかのように読者に錯覚させることも厭わないところのある邦題ですので、ご購入前に、その点にだけ注意していただきたいです。
もちろんブルデューの行っているテレビ批判そのものは、しごくまっとうなものです。日本でも応用できます。
メディア批判における共有すべき視座を提示 ★★★★★

 現代における知識人の在り方を語った卓出した書物として、私はエドワード・E・サイードの『知識人とは何か』(原題“Representations of the Intellectual”平凡社,1998)を挙げたい。その中でサイードは、知識人の在り方として「なんらかの立場をはっきりと代表=表象(レプリゼント)する人間」であり、「知識人の表象とは、懐疑的な意識に根ざし、たえず合理的な探求と道徳的判断へと向かう活動そのもの」と規定している。そして、「知識人の活動の目的は、人間の自由と知識をひろげることである」とも述べている。

 こうしたコンテクストで、当該『メディア批判』の著者であるピエール・ブルデューの一連の<社会批判>活動は、前出のサイードの知識人像をまさに体現していると言ってよい。本書の原題は“Sur la te'le'vision(テレビについて)”で、姉妹編『市場独裁主義批判』の訳者解説によれば、本国フランスでは大きな反響を呼び起こしたそうだ。なぜなら、テレビは「文化的生産の様々な領域」さらには「政治と民主主義」(はじめに)さえ危険に晒していることを析出し、視聴率競争に明け暮れるテレビ・ジャーナリズム等を痛烈に批判しているからである。

 当書は1996年、パリ・プルミエール局によって放送されたコレージュ・ド・フランス放送講義を起稿、編集したものを中心に、補遺や付録などで構成され、<ブルデュー社会学>のキーコンセプトである「象徴暴力」や「界」、「メチエ(職)」などを駆使しつつ、当時のフランス・メディアを切開している。前出の『市場独裁主義批判』でもそうだが、ブルデューの<批判>の矛先は、具体的にはフランスの社会状況にあるわけだけれども、その批判内容は現代日本の状況とも通底するものが少なくなく、共有すべき視座を提示してくれている。

今読む価値は5つ星! ★★★★★
 まず最初に言っておきたいのはメディアにおける現在のあり方に疑問を抱いているのであればぜひ一度は読んでみて欲しい。今、ピエール・ブルデューのこの「メディア批判」を読むことはそれなりに意義がある。これは言わばメディアにおけるメディア内への磁場を丹念に読み解いてゆく。本書の性格上、これと言って読みにくいということはない。フランスと日本という違いはあれ、メディアにおける磁場という面で見れば日本も変わりはない。それは最近の出版状況(ベストセラーなどについて、何でこれが?と思うものも多い。そう感じている人もまた決して少なくはないはずだ)、テレビのあり方(政治内容の乏しさ)だけを見てもわかるだろう。                                                          ブルデューはそうしたものに対し、言わば強度をもって状況を普遍化し、対処するという気概を持っていた。彼のように信念を持つ者がどれだけいるか、意識的に、敢えて身振りを示すことにより彼は閉鎖状況になりつつあるメディア界を警告した。キャスターが学者風に「ソフィーの世界が80万部になっているのだから、今年の流行は哲学だ」こう断言するのは確かにマズイでしょう。数は世相を示すみたいな単純化思考は特に。もちろん、何かが失われた結果、マッチすることやニーズはありますが。こうした物事に抗する形で生まれてものが商業的なものを度外視した文化的生産物、数学、詩、文学、哲学などだという彼の主張は少し強いが、実りのあるものだ。「持ちつ持たれつ」の褒め合いごっこをやっていることを思えば。物事が横並びになった今では特に。妥協を知らない男だったが、その道の途中で死んでしまった。抗う途中で。今、読まれるべき本!この眼鏡、5つ星を献上。メディアに携わる人々が読む場合は自戒を込めて、批判的に意識を紡ぐ人には少しでもわかってもらえることを期待して、本書をおすすめします。
間違いなく名著です ★★★★★
大学でメディアを学び、メディアで働いていた私にとっては衝撃的な1冊でした。痛烈なメディア批判が、この情報過多社会に心地よい。私自身は、この本を読んで、やはり『メディアリテラシー』『メディア教育』の必要性を再認識しました。立ち遅れてる・・・日本!!