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土地と日本人 対談集 (中公文庫)

価格: ¥620
カテゴリ: 文庫
ブランド: 中央公論社
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その先を求めてほしかった… ★★★☆☆
「土地を公有すべし」と考える小説家が、革命家(ぬやま・ひろし)との対談を皮切りに徐々に自己の立論を組み立てていき、最後、(彼が考える”資本主義の権化”としての)松下幸之助に「土地公有論」の是非を問うた対談集。

時系列に並べて読み直すと、小説家の意見の形成過程が良く分かる。

「土地はすべて公有し、利用価値の高い人に適切に利用させるようにすべきだ」という小説家の意見に対し、「所有権を否定しても、利用権の付与を誰が決めるのか?この点をクリアしないと、社会制度は改善されない」旨、やんわりとたしなめる松下幸之助がすばらしい。

他方で、都会の田畑を(土地利用の不効率として)否定するような発言が小説家から繰り返しなされたことには問題があった。現在の我々は、この本の刊行後(平成4年以降)、”農地の宅地並み課税”が実現した結果、マンションだらけの(魅力のない)町並みだらけになってしまったことを嘆かざるを得ない。

優れて直感的であったが、もう一歩突っ込んだ議論になぜならなかったか?
小説家の「結論ありき」の手法は、遺憾としか言いようがない。

なお、(専門家ではないので)都市計画を棚上げにしたままの議論が展開されるが、そこはご愛嬌だろう。
書いてあること、よく分かります。 ★★★★★
土地の公有化というのは、あくまでも象徴的な表現であると思います。
ポイントは、土地が空氣や水のような共有財産であり、
公共の利益に即して利用する方が、個々の為に利益になるであろうという
長期的な視点に立つ考え方にあると思います。
労働や知恵で稼ぐよりも、そこにある地面を売ったり山を切り崩すことの方が、
利益になるという考え方が国を滅ぼす、そのようなことを言いたいのであろうと思います。

大事なことは、日本における資本主義が非常にあやういものの上に立っており、
欧米の資本主義とは大きく異なることを理解することかもしれません。
太閤検地以来、見逃されていた山林の扱いについても、
このことを考えるにあたり非常に興味深いものがあります。
「再発見」の価値がある一冊 ★★★★★
土地問題と住宅、土地問題と高コスト体質、などこちらのサイトにある内容に私は同感である。

http://www.geocities.jp/pilgrim_reader/study/land.html

土地問題と農業の関係を言うなら、公共事業(税金・国債を原資とした公的な予算で)農地を整地し、住宅地等に転売。濡れ手に粟の不労所得としての不動産収入である。こうした甘えの構造、おねだり農家達によって日本の農業は外圧によって壊れる(進行形として)のではなく、寧ろ自壊の道をたどっているのは、土地と倫理(自らの労働を尊いものと考えるか否か)、またそれを担保する社会制度の問題に行き着く。

こうした「貪欲」の姿勢と、全てのものは主から出、主に帰る、という「愚かさ」を敢えて自分にとる事によって信仰を成立させようとする資本主義を成立させたピューリタン達の姿勢と。果たして何れが霊的であり、人として継続可能な社会を齎すのであろうか。資本主義の成立は、それを成立させようとした、というより彼らピューリタン達の労働倫理が結果的に成立させたという原点を忘れては、根本において倫理の支えがなければ資本主義は成立(持続)し得ない、という指摘は、声高ではないが、大きな、包み込む視点を持ちはしまいか。

解体的出直し、という言葉があるが、官僚による支配とこの土地問題が晴れて片付いた時、明治維新以後の次のスキームに入れるのではないだろうか。

松下幸之助は制度も変わったしもう大丈夫だ、といった旨の発言をしているが、バブルを目の当たりにした人間からすればそれがいかに甘い読みであったかがよくわかる。こうした経済界の内部の人間に本当の危機を気づいて欲しかった氏の自分に厳しい姿勢は、この時だけでなく、後のバブルの時期にも繰り返していた事を思うと、単に言葉だけでない事がよく分かる、今「再発見」していい、価値ある一冊である。
「悲鳴」のような問題提起 ★★★★★
司馬遼太郎自身も断っている通り,彼は土地問題についてあまり詳細綿密な知識はもっていないと思われる。よって専門的な議論は本書には期待できないが,司馬以上に門外漢の私にとっては却って本書を通じて土地問題を身近に感じることが出来た。
ちなみに私はドイツ在住8年になるが、日本に帰国する度に西ヨーロッパ諸国と日本は同じく先進国といわれながらなぜこうも景観の美しさに差が有るのかとショックを受けずにはいられない。実際,日本の景観が美しくないということに,日本人なら誰でも悲しみを感じているのではなかろうか。「あとがき」にも例として駅前商店街の町並みの汚さが言及されているが,法的,政治的,経済的な議論よりも、むしろこういう点にこそ土地問題の本質があるように思われる。
emir1969氏の評価は的を得ていると思うが,私は司馬が「歴史小説家」としての地位に安住せず,あえて巨匠らしからぬこの「悲鳴」のような問題提起を行ったことを評価したい。
司馬は変態社会主義者 ★★★☆☆
司馬遼太郎が実は相当に左より、つまり社会主義的な思想の持ち主だったことがよく分かる本、本書で何度となく「土地公有化」という解決法が持ち出されることからも概略を想像できよう、

「あとがき」は司馬にしては珍しく強い感情が露わになった文章で貴重でもある、最大の読み所は、繰り返し土地公有を主張する司馬に対して、柳に風といったお大尽ふうにあっさりと受け流し(つまり暗に司馬の意見を否定し)続ける松下幸之助(松下電機の創業者で立志伝中の人物)の大物ぶりです、さすがはかつては経営の神様と本当にご本尊のように崇められた人物だけのことはあります、

本書は70年代、田中角栄内閣による日本列島改造計画が引き起こした土地問題に揺れた著者の悲鳴にちかい(あとがきで自身がそう述べている)ものであり、その時点で著名作家が「作家の良心と感」によって本書を成したことは評価できるものの、すでに21世紀、人口減少と土地余りの時代をむかえた現在に読み返せば、当時の高名な人物達の思考でさえ随分と目先だけのものであり、長期的な視点がないことがわかり、反面教師的な面白さもある、

「資本主義はあくまでも物をつくってそれを売ることによって利潤を得るものであり、企業の土地投機や土地操作によって利益を得るなどは、何主義でもない」などという文を見ると司馬の経済・経済学に関する無知がよく理解できよう、おそらくは司馬は複式簿記を理解していない、もちろん作家として理解する必要もなかろうが、作家の教養としてそれで充分とはとても思えない、視点を変えれば、前述が司馬流の資本主義の解釈ならば、社会主義はどのように解釈されるのか是非聞きたかったと思うのは評者ひとりではあるまい、