面白い話が多かった
★★★★☆
自分にとっては面白い話が多くて楽しい本だった.
江夏の話では,落合が若いころに麻雀を通して投手心理を読むコツを身につけたこととか.
豊田の話では,三原・広岡・長嶋らとの監督としての比較とか.
落合名言集も,聞いたことあるのが多かったけど,集めて解説付けてもらって読むと感慨深かった.
ちょっとマイナスは,やっぱり落合の話をするのにここまでいらんだろと言いたくなるくらい長嶋の話が多いところかな.
ねじめ・豊田泰光の対談が白眉
★★★★☆
私は巨人ファンでも中日ファンでもないが、落合博満はロッテ時代から興味があったので立ち読みをした所、ねじめ正一と豊田泰光の対談が余りにも面白いので買ってしまった。
筆者は素晴らしい詩人・小説家であるが、長嶋茂雄を語る時は些か情緒に流れ過ぎるきらいが有り、鼻につくのだが、前記の対談中では途中ねじめが展開する長島〜落合愛情論を豊田が「先生、気が○ったのですか!」と一刀両断するシーンは爆笑物であった。
江夏豊が対戦者として落合が好打者から大打者へ化ける瞬間を述べる件、路上生活者と落合を比較した赤瀬川源平の論調も味があり読み応えが有った。
落合自信は決定的にファンサービス意識に欠けている原石の様な人物なので、決して全国規模の人気者にはなり得ないで有ろうが、本の帯に有る様にホヤやナマコの如く慣れれば味があり魅力的な存在で有る事は間違いない。
研究書の様な題名だが、エール本であり、そういう意味では大いに楽しめた(文中敬称略)。
無題
★★☆☆☆
落合博満について、今まで知らなかった魅力的な一面を知ることができるかもしれないと思い読んでみましたが、残念ながら読み終えて特に印象に残るものはありませんでした。
著者の考え方に共感できればまだ面白く読めたのかもしれませんが。
著者は野村克也に対して否定的なようですが、当の落合と野村は仲が良いので、思わず苦笑してしまいました。
落合のことをあまり知らない、どんな人物なのかを知りたい、という方には面白い内容かもしれません。
面白さの原点
★★★★★
一般的に嫌われ者で、常にダーティーなイメージのあり、最も監督から遠いと思われていた落合が中日ドラゴンズの監督になり、日本一位にまでなった。野球エリートばかりのプロ野球界において、全く異質な経歴を持ち独自の方法で進み、周りと対立しながらもしっかりと結果を残し続けている。
ねじめ正一がいろんな人達の対談や自分の言葉達を使い、そんな落合についての詩を編んでいるような本だ。
レビューを見ると賛否両論のようだが、私にはとにかく面白かった。
落合については異端児というイメージがあるが、実は純粋に
・投げて
・打って
・取って
・走って
という面白さの原点を大切にし、その気持ちをじっくりと育てその中で選手達を鍛え、育てているということがよく分かる。
プロ野球は、とにもかくにも価値を決めるのが「お金」という一つの基準だけになってしまい、お金のある巨人が大金をばらまいて有名選手を集める。
そんな手法がまかり通っていることが、野球本来の魅力をなくし結果として、人々は野球から離れて行ってしまう。
野球を楽しみ、野球で勝負するのではなくなってしまっているのだ。
その原因を作ったのは、落合、という印象があったが、それはこの本を読んでみると、印象とはまた違った事実が分かってくる。
野球が本来持っている楽しさ。それは、なかなか言葉や数字にするのは難しい。
でも、落合は自分のプレーで、そして監督として選手にそれを伝えそして中日は強くなった。
「面白さの原点を大切にする」ということの大切を教えてもらった気がする。
ねじめ正一は“元”巨人ファンになっていたのか。
★★★★★
その口から発せられる言葉の意味を思わず考えてしまう野球人の数は少ない。現役選手ではイチローが数少ない一人だが、インタビューを見ていると、彼は簡単に説明できることをわざわざ難しくかつ遠回しに説明するので息苦しさみたいなものを感じてしまう。そんなイチローの対極に存在するのが落合博満なのだと思う。
彼の口から発せられる単語は簡単だ。センテンスも簡潔で“表面的な”意味はすぐに理解できる。しかし、その発言を改めて考えてみると、物事(野球)の本質を突いていることに気付かされる。スポーツライターと呼ばれる人達以外の作家がイチローの言葉をあまり取り上げないのはそこに理由があるような気がする。
元巨人ファンでありかつ現役長嶋信者でもある詩人兼作家の著者が、野球人落合の野球感だけではなく、彼の発する言葉に惹かれるのは当然なのだろう。
この本は、江夏豊、赤瀬川原平、豊田泰光、富士真奈美、高橋春男と著者の対談の章、そして、数々の落合語録を著者の視点で解説した章という構成になっている。落合語録の解説が非常におもしろかった。語録をまとめて読むと、「哲学的ではない哲学」というおかしな言葉が頭に浮かんできた。
著者は長嶋信者ではあるが、まだ落合に対してはファンである。信者になるまでは至っていない。しかしこれからも信者にはならないだろう。落合博満に信者になることを許さない雰囲気やオーラが漂っているからだ。ファンにはなれるかもしれないが信者になるまでのめり込めない。それが落合博満だと思う。
対談の人選も含め、この本は中日あるいは落合ファン向けではないという指摘があるが、それが逆にこの本のおもしろさを表すことになっている。しかも、著者はスポーツライターではなく言葉を操る詩人だ。純粋な野球ファンの側面も持っているだろうが、そんな人物が単純な落合賛歌的な一冊を書くはずがない。