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安田講堂 1968‐1969 (中公新書)

価格: ¥1,029
カテゴリ: 新書
ブランド: 中央公論新社
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全共闘運動に関し、至上の一冊 ★★★★★
当時、私は私なりに多くの規制のかかった報道人のひとりとして闘争現場に立ち会っていた者です。

「終戦」から約40年、あまりにも多くの参加者たちは沈黙する事を美徳のようにして歴史を伏せたまま、後世の者への説明背金を果たしていない事には驚かされる。

権力者らがあくまで、当時のマジョリティをして「歴史」とするのを常套としている。
ならば私たち、庶民にとっての歴史を綴るならば、ひとりひとりが雑音に堪えながら『自分史』として見てきた事してきた事を立って発言してゆかなければならないはずだ。

この本ほどそうした意味で、あのキャンパス構内を客観的かつ公平、かつ主観的に表現分析できているものはないと思う。
そして日大全共闘については、『路上の全共闘1968』がまた最良でみずみずしい。
まさしくあの当時のヘルメット世代が(イヤな言葉だが)等身大で、素直に描かれている。
自己弁護が気になるという…ムキがあっても、それが『情状酌量』を求めている質でなければ、真実の表白と受け止めるべきではないのか。

息子に、娘に私は『あの当時を知りたいならこれだけ読めば十分だ』と、私は自信を持ってこれらを贈った。

あの11・22安田講堂前大集会に、夕闇の迫るなかを勇躍姿を現した日大全共闘3000の大部隊をみとめ、(我々報道陣も含め)多くが感涙にむせんだあのシーンには、この本を開くたびに落涙させられ、困っている(笑)。

客観的報道がなされない(当方らの闘争不足による)なか、他の者がレヴューするような『参考文献』などが他にあるならば見せてもらいたいものだ。凡百いる「経歴詐称者」だのサンケイだの綴った本でも充分な御仁なのかもしれないが。

義憤を感じて、このフェアな姿勢このうえない本書に一筆を呈上する。
蛇足だが『ゲバルト時代』なるものも佳作の参考ブンケンだったが、上記の合流シーンにつき、この島氏の記述「丸写しの無断引用」をしてはばからない著者の行儀の悪さにはすっかり閉口させられた。

アンフェアな者に対し闘ってきた者の晩節だけは汚してはならないというのに。
学生が落ち着いている大河内総長との大衆団交など、セレクトされた写真が新鮮 ★★★★☆
 サル学の島泰三さんを初めて知ったのは、『親指はなぜ太いのか』でしたが、今年になって出た同じ中公新書からの『孫の力 誰もしたことのない観察の記録』を読む前までは、東大全共闘のメンバーで、しかも安田講堂に立てこもって逮捕され、2年間も入獄していたということには、まったく気付きませんでした。

 『安田講堂 1968‐1969』を書いたモチベーションは、いずれ会ってじっくりと話をしたいと思っていた当時のメンバーたちが、次々と鬼籍に入りはじめたこと。

 そして、安田講堂には東大全共闘にメンバーはあまり入っておらず外人部隊が"兵隊"のように逮捕された、という俗説に異を唱えるためです。ということからも、保守的だと言われていた法学部で、安田講堂に逮捕覚悟で20人の闘争委員会のメンバーがまとまって残ったというのには驚きました (p.205-)。

 資料を含めて350頁にわたる本ですが、いつもと違って、まったく余裕などない筆致で時系列的に書き進められていくために、正直、読んでいて辛くなる部分があります。それはご自身も《青年はかくも愚かである。しかし、皆がなんと胸を張っていることか》(p.220)という一文であらわしているのかもしれません。
ノスタルジーでは困る。 ★★★★☆
著者である島先生の経歴を先に見た。東大理学部在学中、東大闘争に参加して懲役2年。今まで読んだ数冊の全共闘関係の本の著者は、その後農業に携わったり自営業をされたりしている方が多かったが、島先生は京都大学で理学博士号を取得され、あちこちの研究所に勤められた経歴をお持ちだと知った。

自分はあの闘争の時代をじかには知らない。あの時代、自分はまだ赤子だったから。

あの闘争は何だったのか。真面目に学びたい学生の邪魔までして、学舎を破壊して、共に闘った仲間の内には苦しみ悩んで自殺した者も多いと聞く。そんな中で、闘争に携わり、そして結局は研究者の道を進んだ島先生は、この闘争に関わったことをどう思っているのか。それを知りたくてこの本を読んでみた。

当時の写真も数多く掲載され、当時の闘争のことが詳しくわかった。貴重な記録・資料としてはこの本は星5つの評価と言える。しかし、この本の内容をよく読んでいくと、「あの闘争は自分の青春だった」というノスタルジーに満ちている。それでいいのかな・・・・と少し疑問を覚えた。単なるノスタルジーでは困る。そのことには正直、腹立ちを覚える。そんなわけで星4つ。
凄い時代があったものだと感嘆 ★★★★☆
1968年。米国ではベトナム反戦が盛り上がり、チェコではプラハ市民がソ連戦車に相対し、フランスでは学生運動によってドゴール政権が倒れるなど、世界中で若者の「反乱」が展開されたこの時代、一体若者達は何に不満を持ち、何を考えて行動していたのだろうか。そんなことを知りたくて本書を手にとった。

本書は、安田講堂の籠城戦の指揮をとった著者による、68〜69年の全共闘運動についての証言である。人によっては「偏り」を感じることもあるだろうがそれは当事者の証言なので当然のこと。80年代以降に生まれ、学生運動などとは無縁な時代に育った者としては、時代の雰囲気がリアルにひしひしと伝わってくる好著である。

著者も言うように、60年安保と比したときに68年の運動はまだまだその歴史的意義について十分に議論されていない観が否めない。日本における学生運動の歴史的位置づけや世界での出来事との連関についての歴史研究が今こそ望まれているのだろう。
ルサンチマン ★★☆☆☆
かつて若者がモノを考える時、一人称が「僕」ではなく「僕ら」だった時代があった。
確かにあった。
まずその思いだけは、シンプルに評価されて良い筈だ。
だってそれ自体は、素敵な事だから。

その先に見たのは、漸次的な改善だったか、夢想的な革命だったか。
私の頭のレベルからすれば、また歴史としてみるしかない世代からすれば、
その背景に置いた高尚な思想・理想・理論はもはや窺うことはできない。
何を志向する「僕ら」だったかにもよって、バラバラだったのだろう。

ただ採択した手段やもたらされた結果は、
全肯定はもちろん、全否定もされてはならないはず。
当事者には、必ず行動原理があったはずだから。

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そうしたスタンスで、気をつけてこの時代を見るようにしている。
すると、本著作はあまりに当事者サイドの肩入れと、
当時、対峙した対象への怨恨のみで書かれている観が強い。

現場に居合わせた、一当事者のルポといった程度に、かなり距離を置くべき著作と捉えた。