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日本国憲法

価格: ¥1,554
カテゴリ: 単行本(ソフトカバー)
ブランド: 太田出版
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憲法を考え直す ★★★☆☆
本書は日本国憲法の中でも第1条の象徴天皇と第9条の戦力の放棄などについてが中心的に
書かれた内容である。

第1条については、著者が天皇についてTVのドキュメンタリ番組で撮りたかったけど、
結局取れなかったという話。
正直なところ、大して面白くはないが、著者らしい内容ではある。

第9条については、著者自身の第9条を「現段階で改正すべきでない」という強い想いが
伝わってくる。
もちろん、著者は法学の専門家ではないため、明確な論拠があるわけではないが、日本国民
が一人ひとりしっかりと考え、自分なりの答えを持つべきものの一つの例を示してくれている
ように思う。

改憲派と護憲派のどっちなのかと既成の枠に考えを押さえ込むのではなく、
自分の頭で本当に考えたか?真剣に9条の問題に向き合ったのか?ということが問われている
と感じる。
そんな考える機会を与えてくれる内容である。
憲法の天皇、戦争放棄条項に特化した本。 ★★★★☆
 憲法は補則を含め、103条まであるが、本書は、1〜8条に記される天皇(特に天皇象徴制)と、9条の戦争の放棄にテーマを定め、そこに特化した2つの章から構成されている。

 天皇に対するメディアの腰の引けは異常とも思え、天皇を様々な自由と共に基本的人権を剥奪された、1個人として見る視点すらも死語となった不敬とされ、メディアにのることはない。
 森は、象徴としての天皇に対する自身の「妄想」を、天皇を撮る事で、ドキュメントとして表現しようとする。
 この試みは、前述のような自粛する媒体としてのTV映像としては、当然ながら番組化することなく撮った映像はお蔵入りすることになり、その過程を前半で記している。

 後半では、9条条文の矛盾、過去の戦争やグラウンドゼロから、“9条の精神”を探る。
 私は、内田樹を引用した、自衛隊という軍隊を既に持っているのだから、それを改憲して明文化しなければ、矛盾が生じているのだから、それを単純化し、分かりやすくするために「武装国家」か「非武装中立国家」かの2者択一しかないとの論点は、「子どもの論理」だ、との1文や、著者の友人である漫談師見習いに語らせた、自衛隊をあんまん、軍隊を豚まんと比喩表現しての自民党新憲法草案批判に頷いた。

 ’95年のオウムや阪神大震災以降、アメリカのように日本も何か目に見えない恐怖に怯えて暮らすようになり、その怯えに軍事力で対抗しようとする気運が高まった。
 その恐怖に打ち勝ったかのように見えるアメリカでさえ、その怯えは克服しきれないのだから、怯えなくともよいような外交や、リスクはゼロまで解消できるはずはないと悟り、怯えとの共存を覚悟できる思想を、読者は本書で探るだろう。
日本に関わる者、全員必読 ★★★★★
森達也さんは世間が色メガネで見てしまうものごとを、先入観なしで見ることのできる目を持っています。
"A"もそうですし、他の著作もそうです。

「日本国憲法」は、日本人が誇るべき憲法、特に9条について深い考察をされています。
日本が武器を捨てることを明確に選んだこと、現在の政治家の改憲論が矛盾をはらんでいることを厳しく指摘しています。

レビューで先入観を与えることはしたくありません。是非読んで味わってください。

個人的には小学校の必読図書にすべきだと思っています。
非武装絶対平和主義も「ワカリヤスク」考えないで…(涙) ★☆☆☆☆
森達也氏は「ワカリヤスサ」を否定する。
私も物事の裏をかくのが好きなタイプなので、彼のような姿勢は賛成なのだが…。
しかし9条と非武装絶対平和主義の話に及ぶと、途端に彼は豹変する。
要旨を記せば、

”自らが率先して武器を捨て、最悪の事態にはまず「あきらめる」。
右派から「お前には勇気が無い」と批判されれば、そのような決断こそが「勇気」だと反論できる。そして武器を持たない事は「かっこいい」事である。
右派の人間とは何が「かっこいい」のか価値観が違うであろうが、この本を読むあなたには私の言う事が分かるはずだ。歴史を学べ。以上。”

…、はっきり言ってズッコケである。
「非武装」の最大の問題点は、それを実行して最悪の結果を招いたとき、憲法の三大要諦の一つである「基本的人権の尊重」が蹂躙される事であり、それがアポリアでもある。
故に護憲派憲法学者の長谷部恭男氏は「非武装絶対平和主義は立憲主義に反する」と指摘する。
しかし森氏にはそのような熟慮は皆無である。
森氏が示した事は、「唯一正しい事」だから達成すべきという「ワカリヤスイ」解決法のみである。
だがそれでは彼のアイデンティティを疑われても仕方ない。今迄のスタイルは一体何だったのだろうか?
つまり、森氏は「同志」に向けて言葉を発しているだけなのである。しかし、その言葉は日々現実に向き合って生きる「他人」には「分かってはもらえない」ものなのだ。
これが本性ならば、生涯M・ムーア氏を超えられないだろう。
森氏は彼をを過去に手厳しく批判したが、彼は知性とセンスとユーモアを駆使し、保守派の人間でも唸らせる(超映画批評の前田有一氏は『シッコ』に100点中96点を付けた)作品を造っているのだから…。
自分の頭で考え言葉で語る憲法論 ★★★★☆
 オウム真理教の実像を描いた『A』『A2』など、数々のドキュメンタリー作品を世に送り出し、近年では作家としても活動している森達也が、カルチャー雑誌『QuickJapan』の連載に大幅な加筆を加えてまとめた一冊。憲法論議の高まりを受けて出版された多くの「憲法本」が、ともすれば自己の正当性と他者への批判に終始しがちなのと違い、『日本国憲法』はモンゴルで見た星空の美しさから始まり、民族派右翼との出会いや靖国参拝、ドキュメンタリー番組中止や初めての選挙応援など、森の日常と憲法の関わりを描いている。

 その言動から「左翼」と評される森だが、改憲そのものには反対していない。むしろ時代に合わせて修正すべきという立場だ。しかし改憲派が主張する軍事的緊張や、テロが頻発する国際情勢といった「危機」を疑っている。そして護憲派が、軍国主義化やアメリカ追随型の戦争という「危機」を掲げることにうんざりしている。改憲・護憲にかかわらず、憲法論議を支えているのがマッチポンプのごとき「危機」であることに、森は強烈な違和感を感じている。そのせいだろうか。『日本国憲法』は全編にわたって苦悩や葛藤、迷いの繰り返しだ。こんな「憲法本」は珍しい。

 ナチス・ドイツのNo.2であったヘルマン・ゲーリングは、かつてファシズムを生み出す方法について「国民に向かって、われわれは攻撃されかけているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていることで国を危機に陥れたと非難すればよいのです」と語った。あれから60年あまり。はたして私たちは賢くなったのだろうか。森は言う。「ギリギリと頭蓋骨の隙間が音をたてるほどに、あなたは考えねばならない」と。安易に結論を求めるのではなく、考え続けることが必要だと。そんな森が書いた『日本国憲法』は、自分の頭と言葉で憲法を、そして日本という国を考えたい人たちにとって大きな手助けになると思う。