檄文的遺言と伝記
★★★☆☆
吉田松陰が伝馬町牢屋にて死の直前に認めた十数篇の遺言。死に望んで、自分の意思を継いでくれる者への檄文であり、死後の処置について細やかに記した不思議な遺言である。
この留魂録を読んだ門下生達がやがて立ち上がり、日本の歴史を変えていく。
しかし遺言ゆえに短く、吉田松陰の生涯を追う伝記を後半に付与して一冊にまとめている。
吉田松陰入門として手頃かも知れない。
驚愕の書
★★★★★
なぜ短期間に松下村塾からあれほど優れた傑物を輩出したのかというのはよく語られる謎です。また、吉田松陰の伝記を読んでいても、聖者のようであり事実として理解し難く感じることがあります。しかし、この死の直前に書かれた書を読むことで、謎が解けたように思います。遺書とも言える留魂録は、吉田松陰という人物が常人とはかけ離れた心の持ち主であったことがはっきりと分かります。特に自らの死を四季に例える箇所は、世のためなら命を惜しまないその行動の背景をよく表しています。冷静な文章ですが激しい情熱を備えており、松蔭という人は魂が主体であり、肉体は脇役にすぎないことが伝わってきます。吉田松蔭を知る上で優れた著書だと思います。
<人間感化力>に富んだ革命教師=松陰らしい訓戒遺書
★★★★★
極刑を覚悟した吉田松陰が放つ魂魄の清らかさに驚かされる。だが、温和に見える松陰は、内裡に己の意見が容れられない鬱勃たる憤懣と飛雄の宿望を抱えていた。松陰は外国船に乗ると思い立ったら即行動に移す人であり、旅上の憂国詩人であり、門弟の個性の相違を尊重し共に学び合う目配りの人であったらしい。師匠自らが発展途上を自覚していた。曇りのない多感な青少年の眼に進むべき道を指し示す先導者たらんとした。
安政の大獄を掻い潜ったならば、松陰は大学を設立し教育に余生を全うし得ただろうか。投獄幽閉を奇貨として秘密裏に暗殺される惧れを否定できない気がする。ただ、『留魂録』を書き遺す機会がなかったなら、倒幕革命家養成の評価を変じたに違いない。最初に送られた遺品『留魂録』は高杉晋作、久坂玄瑞ら門下生同士の筆写閲覧中に所在が失われ、三宅島遠島の間も肌身離さず所持隠匿し、亡失から自筆遺書を守り抜いた同囚の沼崎吉五郎がもたらしたもう一部の『留魂録』が今日に伝わった。
吉田松陰という<人間感化力>に富んだ教師像と<先見性>に溢れた受難者像を世に印象づけたこの流転ドラマこそ、倒幕先導の長州藩志士の発奮が松陰の獄死と自筆遺書により点火されたことの裏付けではないのか。小説『警視庁草紙』で遠島帰りの巾着切「むささびの吉五郎」によって元松下村塾生の神奈川県令野村靖(和作)に『留魂録』が届けられたエピソードを読んだ時、作者山田風太郎の手の込んだ創作だと思い込んだ不明を恥じたい。
本書「解題」に事実は小説より奇なりと言っていい事実経緯が詳しく書かれている。仮名まじりに直された漢文の原文と現代語訳の「留魂録」は正味40頁ほどだが、思わず姿勢を正したくなる文章が連なる。付録の「史伝・吉田松陰」が懇切丁寧に松陰その人の事跡を教えてくれるので、狂気と裏腹の<至誠の人>ぶりを感取することが可能である。
「今日死を決するの安心は四時の順環に於て得る所あり。」(97頁)
★★★★☆
本書2百数十頁のうち『留魂録』本文パートは約40頁を占めるに過ぎないが、その白眉はやはり松陰が死を受容するに至った心延えを述べた上記の文章で始まる有名な第8章であろう。凡そ日本人である限り、おそらく胸を打たれない者はいないのではなかろうか。
古川薫氏の解題と史伝も有益であるが、司馬遼太郎氏の『世に棲む日日』を既に読了しているという立場からは、個人的には、(1)『留魂録』自筆原本が後世に残るにあたって決定的な役割を果たした沼崎吉五郎に触れたくだり(29〜37頁)や(2)松陰の愛号である「二十一回」猛士の由来について述べた箇所(174頁)が裨益するところ大であった。
「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」(78頁、『孟子』離婁上篇第12章)。「明治維新をさきがけた長州人の力を支えたものが、封建的身分関係を超越した友情であったとすれば、その機運を最初につくり出したのは、疑いもなく松下村塾の塾生たちであった(193頁)。
松蔭はなぜ、尊王を唱えたのだろうか
★★★★☆
幕末から明治の日本人が何を考えていたか知りたくて漁っている中で手にとった一冊。吉田松陰の遺書である。
解題、本文と現代語訳、松蔭の史伝、という3部構成になっている。
留魂録と題された遺書自体は5000字というから原稿用紙にして14,5枚。志半ばで死を強いられる29歳の青年が処刑前日に書いたものだから、もちろん強く心打たれるものはある。
ただ、それ以上でもそれ以下でもない。
彼一人が特別、ということがあるとしたら、それはこの遺書そのものではなくて、彼の薫陶を受けた門下生たちが死を賭して明治維新を実現した、というその一点であろう。その意味では日本の歴史には極めて稀な革命思想家、といっていいかもしれない。体制側からすれば、テロ集団の教祖、であった。
松蔭が掲げた尊王攘夷思想は、松下村塾生山形有朋から連綿と帝国陸軍に引き継がれ、昭和の悲惨な戦争の源流を作った。幕末、天皇は人々から忘れられた存在であった。それがあれよあれよという間に絶対君主に祭り上げられた。そのあたりのニュアンスがやはりわからない。攘夷はともかく、松蔭はなぜ、尊王を唱えたのだろうか。
ともあれ本書の後にぜひ、司馬の『世に棲む日々』をお勧めしたい。吉田松陰が生き生きとした躍動感でもって描かれている。