インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

たんば色の覚書 私たちの日常

価格: ¥1,260
カテゴリ: 単行本
ブランド: 毎日新聞社
Amazon.co.jpで確認
日常とは ★★★★★
作者曰く赤は狂気の色、反対に青―たんば色は正気の色という思い込みが私たちにあり

その正気の青こそが私たちの思考に無意識に入り込んでいて「日常化」されている

イラクで殺されていく人々、商品化された地球温暖化問題、実在がもはや排除されている死刑囚などはもはや想像から排除され

それらは日常の風景であり無意識の中にある

その日常こそが狂気なのだ。

言霊のこもったエッセー ★★★★☆
本書は、著者の書き下ろしエッセーと講演録からなります。
テーマは、死刑や戦場における死を始めとする、
国家権力による暴力が隠蔽されていることへの怒り、
そして隠蔽に加担するマスコミや資本の論理への絶望、
さらに、飼い馴らされて想像力を鈍らせている我々への叱咤もこめられていると思います。

ご存知のように現在の著者は、
ガンを始めとする難病との内面の闘いにも直面しており、
傷ついた身体に鞭打って孤高の文章をつむいでいることを念頭に置くべきです。
ファッションのような腑抜けた言論ばかりが幅をきかせる中、
やはり著者の姿勢にはリスペクトを抱かずにはおれません。
日常に潜む罪や無恥を暴き審問する得難き良書 ★★★★★
半身不随の身体で癌と(著書の言う)既に壊滅している日常と戦う辺見庸氏が、共同通信時代の実体験、世界の思想家と病苦・病痛とその経験から生じた諦観から描いた本書=氏の思想に改めて感服すると同時に、自身が無意識に自己を免罪している紛れ無い事実に心が打たれました。

氏は全ての物事の商品化に成功した資本主義(言わば人類が自ら生み出した癌)との戦いは、アメリカの作家メルビィルの著書に登場する代書人バートルビーのように、単独者の自己存在を賭けた拒否(言わば国家とそれに組織的に対抗する暴力に次ぐ第三の暴力=無暴力的暴力)によってこそなし遂げられるはずだと述懐します。

そして最後に、「痛み」とは、「姿はるけし他者の痛みを自分の痛みをきっかけにして想像することを可能とする優れた特性を持つもの」と締めくくりました。ここ2年の間に父と愛犬を痛みを伴う癌で失った経験から私も痛みには大きな意味(他者との作用)があると考えています。死を控えた著者の慧眼による本書は我々日本人が最も読んでおくべき書の一つではないでしょうか。

〜著者の言葉抜粋〜
・ワシントンでも東京でもなく、本当に大事なところは、まだ2歳か3歳の赤ちゃんの背中にナパーム弾が落とされるところであり、子供が飢えているところ。そういう場所こそが世界の中心であるべきで、世界の中心と私たちをつなげるものは想像力しかありえません。
・ヴェトナム戦争時のアメリカの歌「雨を見たかい?」(真実はナパーム弾を否定する反戦歌)をアフガン・イラク戦争を経て日系自動車企業がCMで起用したことが意味するのは、残虐な死の記憶を背負った曲さえも、大企業の資本というものは平気で飲み込むということ。
腐臭を放つ日常への異議申し立て ★★★★★
「日常という舗装道路の下はすべて死体だと考えてもいい」
このような言葉を使うことのできる作家が辺見庸である。
うるわしき日常のなかに埋め込まれた死を、禍々しきものをはわれわれは黙約をもって
排除する。そして麻酔をかけられ、うるわしき永遠なる日常を幸せな詩人として生きる
ことを望む。
しかしそれは「恥辱」の気持ちの喪失をも意味するのではないだろうか?
「日常」は憧れ、慈しむものではなく、むしろ敵視すべきものではないのか?
全体に通底するのは、言葉に見限られつつある、現状に対する虚しさと哀しさである。
にもかかわらず、文章は磨きぬかれ、研ぎ澄まされ、「言葉の力」を信じさせる力を持
っているのである。
この珠玉の一冊をぜひ手にとってもらいたい。
悲痛だが静かな叫びと告発 ★★★★★
脳梗塞で倒れて以来、辺見庸を数々の病魔が襲っている。
今はガンの痛みと闘っている。それが辺見庸の「日常」である。
その「日常」から、今私たちが、他者の痛みを感じず、己の痛みすらも麻痺していることを
静かに告発する。筆致は相変わらず扇動的なところも見られるが
本書は自らの肉体的痛みを俎上に上げて、そこからの告発だけに、
清々しい覚悟のようなものさえ感じる。

もはや辺見庸は、己の中の矛盾点が見つかったとしても立ち止まらない。

……私固有の痛みとはるかな他者のそれには、やはり何かの縁があり、ときとしては果てしない距離を置いてたがいに鈍く重く疼きあうこともありえよう。2つの異なった痛みをつなぐのは、私的痛感を出発点にした他者への痛みへの想像力にほかならない。むろんそれは容易に届きはしない。(中略)痛みはだから、いつも孤独の底で声を抑えて泣くのだ。(あとがきのかわりに、より)

かつて辺見庸が「反戦デモ」に参加したとき、参加者の「笑顔」に衝撃を受けたと書いたことがある。
「これじゃない! そうじゃないのだ!」と。

本書でも辺見庸は痛みの中から叫び続ける。まさに悲鳴のように。しかし静かに……。